どの教会が正しいか
ジョセフ・スミスは、1805年バーモント州シャロンで生まれました。
これから紹介する一連の出来事が起きた14歳の頃、ジョセフは家族とともにニューヨーク州に移り住んでいた。その当時地上にはさまざまな教派の教会があり、どれも「イエスキリストの正しい教会は此方だと」競い合っていた。そして、ジョセフはどの教会に入るべきか真剣に考えていました。
その当時の様子をジョセフ自身の言葉で読んでみましょう。
このひどい騒ぎの間、私は心の中で深く考えさせられ、大きな不安を感じないではいられなかった。
私はしばしば心に問うた。「何をしなければならないのだろうか、これらすべての教派の内どれが正しいのだろうか。それとも、ことごとく間違っているのだろうか、もし彼らのうちのどれかが正しいとすれば、それはどれで、どうすればそれが分かるのだろうか。」
これらの宗教家たちの論争によって引き起こされた、極度に難しい事情の下で苦しんでいたある日のこと、私は、新約聖書のヤコブの手紙第1章5節を読んでいた。そこにはこう書いてある。
「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」
この聖句がこの時、かつて人の心に力を与えたいかなる聖句にも勝って、私の心に力強く迫ってきたのであった。それは私の心の隅々に大きな力で入り込んで来るように思われた。
もし誰か神からの知恵を必要とする者がいるとすれば、それは自分であることを悟って、私はこの言葉を再三再四思い巡らした。なぜならば、私はどうしてよいか分からず、また自分がその時に持っていた知恵よりも深い知恵を得られなければ、どのように行うべきか全くわからなかったからである。
それというのも、様々な教派の教師たちは同じ聖句を異なって解釈し、その結果、聖書に訴えて疑問を解決することへの信頼をすべて打ち砕いてしまっていたからである。
とうとう私は、暗闇と混乱の中にとどまるか、それともヤコブが指示しているとおりに行うか、すなわち神に願い求めるか、どちらかにしなければならないという結論を出すに至った。
私はついに「神に願い求め」ようと決意した。もし、神が知恵に不足している者に知恵を与え、しかもとがめもせずに惜しみなく与えてくださるならば、思い切って願い求めて見るべきだと結論づけたのである。
ジョセフ・スミスの最初の示現
そこで、神に願い求めるというこの決心に従って、私はこれを実行するために人目を避けて森に入って行った。それは1820年の早春、美しい晴れた日の朝の事であった。私がこのようなことを行おうとしたのは、生涯で初めてであった。私は不安の真っただ中にあっても、声に出して祈ろうとしたことはまだ一度もなかったからである。
私は前もって決めておいた場所に人目を避けて行き、あたりを見回し自分一人であることを確かめると、ひざまずいて、心の願いを神に告げ始めた。
私がそうし始めるや否や、すぐに私は何かの力に捕らえられた。その力は完全に私を圧倒し、私の舌をしびれさせるほどの驚くべき力を振るったので、私は物を言うこともできなかった。深い闇が私の周囲に集まり、一時はあたかも突然の滅びを宣告されたかのように思われた。
しかし、私は自分を捕らえたこの敵の力から、救い出してくださるようにと、あらん限りの力を尽くして神に呼び求めた。すると、その瞬間すなわち、この非常な恐怖の瞬間に、私は自分の真上に、太陽の輝きにも勝って輝いている光の柱を見た。そしてその光の柱は次第に降りてきて、光はついに私に降り注いだ。
それが現れるや否や、私は我が身を縛った敵から救い出されたのに気付いた。そして、その光が私の上にとどまった時、私は筆紙に尽くしがたい輝きと栄光を持つ二つの御方が私の上の空中に立っておられるのを見た。
すると、そのうちの御一方が私に語りかけ、私の名を呼び、別の御方を指して「これは私の愛する子である。彼に聞きなさい」といわれた。
私が主にお伺いしようとした目的は、自分が加わるべき教派を知るために、すべての教派のうち、どれが正しいか、また自分はどれに加わるべきかを、伺った。
すると、それらのどれにも加わってはならない、すべて間違っているからである。とのお答えであった。
また、私に話しかけられた御方は、彼らの信条はことごとくその目に忌まわしいものであり、信仰を告白するそれらの者たちはすべて腐敗しており、「彼らは唇をもってわたしに近づくが、その心はわたしから遠く離れている。彼らは人の戒めを教義として教え、神を敬うさまをするけれども、神の力を否定している。」と言われた。
その御方は、再び私に、それらのどれにも加わることを禁じられた。また、ほかにも多くのことを私に言われたが、いまはそれを書くことは出来ない。
私は再び我に返ると、自分が天を見上げて仰向けに横たわっているのに気付いた。光が去った後、私には力がなかった。しかし、間もなくある程度力を取り戻したので、家に帰った。
迫害
ジョセフは神に従い、どの既存の教会にも加わりませんでした。しかし、自分が見たり聞いたりしたことを話すと、人々は反発し迫害を加えるようになった。
間もなく私がその話をしたことが信仰を告白する人々の間に、私の対する大きな偏見を引き起こし、ひどい迫害の原因となったことを、私は知った。そして迫害は増し続けた。
私は、たかが14,5歳の名もない少年であり、生活状況から言っても世の人々の中で、取るに足りない少年であったにもかかわらず、地位のある人々は私に目を留めて、一般の人々の心を私に敵対するようにあおり、激しい迫害を引き起こそうとしたのである。これはすべての教派に共通したことで、すべてが連合して私を迫害したのであった。
当時真剣に考えさせられ、またそれ以来しばしば考えさせられてきたことであるが、14歳を少し超えたばかりの名もない少年、それも日々の労働によってわずかな生活費を得なければならない定めに置かれた少年が、当時最も評判の良い教派に属する偉い方々の注意を引き、最も激しい迫害と悪口雑言を浴びせようとする思いを、彼らの中心に起こすほどの重要人物と思われようとは、何とも不思議なことである。それは私にとってひどい悲しみの種となった。
しかしながら、それでも私は示現を見たことは事実であった。
私は実際に光を見た。その光の中に二人の御方を見た。そして、その方々が実際に私に語りかけられたのである。たとえ示現を見たと言ったことで憎まれ、迫害されたとしても、それは事実であった。そしてそのように言ったことで、人々が私を迫害し、私をののしり、私に対して不当にあらゆる悪口を浴びせている時、私はこのように心の中で言うようになった。
「真実を告げたことで、なぜ私を迫害するのか、私は実際に示現を見た、どうして私は神に逆らえようか、なぜ世の人々は私が実際に見たものを否定させようとするのか」
私は示現を見た、私はそれを知っていた、神がそれを御存知であるのを、私は知っていた。私はそれを否定できず、またそうする勇気もなかった。少なくとも私は、そのようにすれば自分が神に対して罪を犯し、罪の宣告を受けるということを知っていた。
教派社会に関するかぎり、私は今や心に満足を得ていた。すなわち、それらのどれにも加わる義務はなく、次の指示があるまでそのままでいればよかったのである。
私は、ヤコブの証が真実であることを知った。すなわち、知恵に不足している者は神に願い求めることができ、そうすれば、とがめを受けることなく知恵を得られる、と。
私は1823年9月21日まで、この世の普通の仕事に従事していた。その間ずっと、宗教心のある人か、無い人を問わず、あらゆる階級の人々から、容赦のない迫害を受けていた。私が示現を見たことを断言し続けたからである。
モロナイの訪れ
神にお会いしたことを否定しようとしないジョセフに、迫害は続きました。
1823年9月21日夜のことである、私はその夜、寝床に就いた後神様に、私のすべての罪と愚かな行いを赦してくださるように、また神の前における自分の状態と立場を知りたいと思い、それを示してくださるように祈って嘆願した。以前のように神の示しを頂けるという確信があったからです。
私はこのように神に呼び求めていたとき、室内に光が現れたのに気づいた。その光は次第に明るさを増し、ついにその部屋は真昼の時よりも明るくなった。すると、すぐに一人の方が私の寝台の傍らに現れ、空中に立たれた。
その方はこの上なく美しい白さの、ゆったりとした衣を着ておられた。それは、私がこれまで見た この世のいかなるものも、これほど白く輝いて見えるようにすることは出来ないと思う。
その方の手はあらわで、衣の袖は手首の少し上までで、その足もあらわで、衣の裾は足首の少し上までしかなかった。その頭と首も覆われていなかった。その方の胸が見えるほど衣がゆったりとしていたので、私はその方がその衣の他は何も着ておられないのに気付いた。
その衣が非常に白かっただけでなく、その全身も筆紙に尽くしがたい輝きに満ち、その顔はまことに稲妻のようであった。部屋は非常に明るかったが、その方のすぐ周りほど明るくはなかった。
私は最初にその方を見たとき恐れたが、その恐れはすぐに去った。その方は私の名を呼び、自分は神の前から遣わされた使者であること、その名はモロナイであること、神が私のなすべき業を備えておられること、また私の名が良くも悪くもすべての国民、部族、国語の民の中で覚えられること、すなわち、良くも悪くもすべての民の中で語られることを私に告げられた。
その方はまた、この大陸の先住民の話と彼らの起源を伝える、金版に記された書が隠されていることも告げられた。また、それには救い主がその昔の住民に述べられたままに、完全な永遠の福音が載っていることも告げられた。