人生の目的を知り人間関係を学ぶ

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信仰と愛

信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認する事

投稿日:2017年10月8日 更新日:

信仰とは「イエス・キリスト、希望、信じる、信頼」の言葉によるもの

信仰は、あるものに信頼を寄せることです、聖典に言われているように、信仰とは「イエス・キリスト」に対する確信と信頼であり、その確信と信頼があれば人はイエス・キリストに従うようになる。人を救いに導く信仰は「イエス・キリスト」を中心としたものでなければならない。

「イエス・キリスト」は霊における天父(神)の長子であり、肉における天父の独り子であられる。また世界が創造される前に、その偉大な召しに予任された。つまり天父の指示の下に地球と地上の万物を創造された。(ヨハネ1:3)

「希望は」約束された義の祝福を固い確信をもって待ち望むこと。聖典では イエス・キリストを信じる信仰により永遠の命を待ち望むこととして、この言葉をしばしば用いられている。

「信じる」何かを真実であるとして受け入れること。神の王国に救われるには、悔い改めてイエス・キリストを信じなければならない。

「信頼」人あるいは、何かの物事を信じて頼りとすること。霊的な意味では、神とその御霊に頼る事が含まれる。

信仰とは

信仰とは、待ち望んでいながら まだ見ていないものである。

信仰とは、物事を完全に知ることではない。

信仰も、行いを伴わなければ死んだものである。

信仰とは、愛によって働く。

信仰がなければ何も行えない、それゆえ信仰をもって求めなければならない。

奇跡が信仰を生み出すのではなく、イエス・キリストの福音に従うことによって、強い信仰がはぐくまれるのである。

もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、あなたがたに出来ないことは何もないであろう。(マタイ17:20)







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ようこそ 私は管理人の齋藤正子です。

新潟県出身  高校卒業まで新潟で過ごす。

「末日聖徒イエス・キリスト教会」会員。

教育者の家庭に生まれ育ち、7歳で母親を亡くし、後信仰深い祖母に育てられたが、10歳の時父が再婚し、その義母に姉妹差別で育てられた事に悩んだ。 大学を卒業した後、様々な人々と関わり 「人生とは何か」に、疑問を持っていたある日「末日聖徒イエス・キリスト教会」の宣教師に出会い、「救いの計画」について聞く事ができた。

そして人生の目的や人々との関わり等について、また人と神の関係について学んだ。

私と同じ疑問を持っている方、又人々との関係を良いものにしたいと思う時に、参考になればと思い聖典等を参考にして書いています