信仰とは「イエス・キリスト、希望、信じる、信頼」の言葉によるもの
信仰は、あるものに信頼を寄せることです、聖典に言われているように、信仰とは「イエス・キリスト」に対する確信と信頼であり、その確信と信頼があれば人はイエス・キリストに従うようになる。人を救いに導く信仰は「イエス・キリスト」を中心としたものでなければならない。
「イエス・キリスト」は霊における天父(神)の長子であり、肉における天父の独り子であられる。また世界が創造される前に、その偉大な召しに予任された。つまり天父の指示の下に地球と地上の万物を創造された。(ヨハネ1:3)
「希望は」約束された義の祝福を固い確信をもって待ち望むこと。聖典では イエス・キリストを信じる信仰により永遠の命を待ち望むこととして、この言葉をしばしば用いられている。
「信じる」何かを真実であるとして受け入れること。神の王国に救われるには、悔い改めてイエス・キリストを信じなければならない。
「信頼」人あるいは、何かの物事を信じて頼りとすること。霊的な意味では、神とその御霊に頼る事が含まれる。
信仰とは
信仰とは、待ち望んでいながら まだ見ていないものである。
信仰とは、物事を完全に知ることではない。
信仰も、行いを伴わなければ死んだものである。
信仰とは、愛によって働く。
信仰がなければ何も行えない、それゆえ信仰をもって求めなければならない。
奇跡が信仰を生み出すのではなく、イエス・キリストの福音に従うことによって、強い信仰がはぐくまれるのである。
もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、あなたがたに出来ないことは何もないであろう。(マタイ17:20)