突然起こった予想外の事
(W・クレーグ・ズウィックの話しを参照)
少し昔の話しですが、ある日私は18輪トレーラーの運転席に乗り込み、隣に美しい妻と幼い息子を乗せていました。私達は幾つかの州を横断して大量の建築資材を運ぶことになっていました。
当時はシートベルトやチャイルドシートを義務ずける法律がなかったので、妻は大事な息子を腕に抱き抱えていました。
「地面から随分高いわね」と妻がいった時、私は彼女の不安を察するべきでした。
幹線道路の勾配が急な歴史的に残るドナー峠を下っていると、予想外の事が突然起こりました。
トレーラーの運転席に煙が充満したのです。前が見えなくなり、私達は息が詰まりそうになりました。
これほど大きな車両だと、ブレーキだけでは急激に速度を落とせません。私はエンジンブレーキを使いギアを下げて、何とか止めようとしました。そして私がトレーラーを路肩に寄せた瞬間まだ完全に停車しないうちに、妻は助手席側のドアを開けて赤ん坊を抱いたまま飛び降りました。
二人が地面の上で転がる姿を、私は、なすすべもなく見つめていました。
私はトレーラーを止めると、すぐに煙でいっぱいの運転席を飛び出しました。そしてあわてて二人の元に行き二人を抱きしめました。
妻の腕と肘が傷だらけで出血していましたが、幸いなことに彼女も息子も無事でした。幹線道路の脇で私は暫く二人をきつく抱きしめていました。
一体何を考えているんだ。
心が落ち着いて話しが出来る様になった時、私は思わずこう口走ってしまいました。「一体何を考えているんだ、今した事がどんなに危険か分っているのか、死んだかもしれないんだぞ!」
妻はすすで汚れた頬を涙でぬらしながら、私の心を刺しぬく一言をいいました。「息子を救おうとしただけよ!」
その瞬間私は妻の思いを悟りました。エンジンが燃えていると思った彼女は、トレーラーが爆発して皆死んでしまうと恐れたのです。
一方私は、煙が電気系統の故障によるもので、危険はあるものの命に関わるわけではない事が、分っていました。
私は愛する妻が、幼い息子の頭を優しくなでている姿を見て、(これほど度胸の要る事をするなんて、何と言う女性だろう)と思いました。
パウロの警告
その後夫婦は、互いに相手が悪いとの思いから、口を利かない期間が暫く続き、夫婦間の気持ちに危機を招きかけました。しかし最後には「何が原因で感情的になってしまったのか」説明をし合いました。
互いへの愛と相手の安否を気遣う心を、二人とも持っていたお陰で危険な出来事が大事な結婚生活を台無しにする事にはなりませんでした。
十二使徒のパウロは次のように警告しています。「悪い言葉を一切あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば人の徳を高めるのに役立つ様な言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。」(エペソ人4:29)
人々にとって「悪い言葉」とは何を意味するでしょうか?私達は皆自分や他の人の、激しい怒りの感情を味わう事がよくあります。
人前で怒りを爆発させる人を見たこともあります。スポーツの試合や、政治の場で、あるいは自分の家でも、感情のぶつかる場面を経験した事があります。
子供が刃物のように鋭い言葉で、愛する親を傷つけることがあります。人生の最も豊かで愛に満ちた経験を共にしてきた夫婦が、方向性を失い互いに忍耐を持てなくなり、声を荒げる事があります。
相手の視点から現状を把握する前に、角の立つような事を言ってしまうことがあります。破壊的な言葉がどのようにして際どい状況を、致命的な状況に変えてしまうか、誰もが学ぶ機会があったことでしょう。
福音の教えでは「全ての人を愛し、親切と礼儀正しさをもって接する」ように教えています。互いの意見が違う時も同じです。
益になる言葉を使う
「柔らかい答えは憤りをとどめ、激しい言葉は怒りを引き起こす」と言います。(箴言15:1)
柔らかい答えとは、熟考したうえで応答すること、すなわち謙虚な心、抑制の利いた言葉を語ることです。
だからと言って、決して率直に話さない事でも、教義上の真理を曲げるわけでもありません。端的な言葉でも柔らかく語ることができます。
今日、男性と女性が互いへの尊敬を育むことが大いに必要とされています。信じる事や行動力が、非常に異なっていても、それを越えて敬意を表すのです。
相手の経験を優しく考慮しながら、夫は妻に次ぎのような言い方で言うべきでした。「何を思っているのですか?」
まとめ
トレーラーの運転席に煙が充満した時、妻は息子を守るために、思いつく中で最も勇気ある行動をとりました。
夫が妻の行動を問いただした事も、家族を守るためでした。ここに誰の方が正しいかは、重要ではありませんでした。重要なのは互いの言葉に耳を傾け、相手の見方を理解する事でした。
快く相手の視点で見ようとする気持ちは、「悪い言葉」を「益になる」ように変えてくれます。
思いやりのある言葉を使うことで、私達の「益になる」ことができます。いつも「悪い言葉」を使わずに「益になる言葉」を使うことで、間違う事はありません。