人生には選択する場面が沢山ある。
人は皆、日ごろの生活をする中で「どっちにしようかな?」と選択する場面が沢山あると思います。それが、「羊羹と大福餅」のどっちにしようかと迷っているような、どうでもよい選択ならそのどちらを選んでも、大した変わりはないですが、でも人生に関わる選択は重要です。
「小さなちょうつがいが歴史の扉を開く」と言いますが、人生も同じです。自分の選択が行く末を決めるのですから。
私達は、「今なぜここにいるのか?」というと、前世からこの死すべき世に、自分で選択して来たのです。何の為にかというと
それは、自分を成長させる為にこの死すべき世に於いて修業し、次の来世に行く時に自分の思う様に成長して、再び天父(神)の元に戻る事を目標にして、この世での両親も自分で選んでやって来たのです。
そこでこの世では、自分に与えられた様々な選択が、その目標を達成する為の決めてとなってくるのです。
この世で進む道が、次の世における目的地に通じる
殆どの人は、ルイス・キャロルの名作童話「不思議の国のアリス」の話を知っていると思います。この話では
その主人公アリスが、分かれ道に差し掛かると道はそれぞれ反対方向に延びていました。アリスがどっちの道に行こうかと、考えていると、チェシャ猫に会い アリスはチェシャ猫に尋ねます。
「私はどっちの道に行けばいいの?」猫は答えました。「それはお前が何処に行きたいかによるね。自分の行きたい場所が分らなければ、どっちの道を行っても大した違いはないさ。」
アリスは、自分の行きたい場所が分らない旅なのでしたが、アリスと違って私達は、前世からこの現世に来たのは修業して成長を積んで、神の元に帰るという目的が分ってる筈なので、どっちに行くかが、とても重要なのです。「この世で進む道が、次の世における目的地に通じているからです。」
安易な悪ではなく、困難な善を選ぶ
そのために私達は、賢明な選択をすることは必要不可欠ですが、時に人は愚かな選択をしてしまう事があります。しかし私達は悔い改めの賜物によって、間違えたら進路を修正する事が出来ます。そして私達がはじめに目指した目標に通じる道に戻る事が出来ます。
世間に迎合しない勇気を持ち続ける事ができるように、「安易な悪」ではなく「困難な善」をいつも選べるように、日々の生活の中でくだす決断について、考える必要があります。
「これを選択するか、あれを選択するか」と考える時、神が教える道を選ぶなら間違いなく正しい選択をすることが出来ます。
神が教える道とは、道徳的に普通に正しい道です。しかし
「悪」は簡単で選びやすいですが、「善」は選ぶのに勇気が必要で、困難なものです。だから修業なのです。
「悪」はサタンの誘惑の道ですから、簡単で選びやすく得を思わせます。「善」は神の示す道ですが、容易ではない事があります。
だから良く考えて困難でも「善」の道を選ばなくてはなりません。
まとめ
何にでも言えることです。勉強でも、仕事でも、トレーニングでも、全てにおいて良い結果や栄光を得ようとする場合に、安易に努力をせずに出来るものは何もありません。
世の中で成功をしている全ての人は、それまでの道は困難で、忍耐と努力の積み重ねで、簡単に得られる事ではなかったのです それは御存じですね。
それは「善」を選ぶか、「悪」を選ぶか、と一緒です。
「安易な悪」ではなく、「困難な善」を選ぶ事が重要です。