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信仰と愛

奇跡はあるのか、奇跡を望むなら信仰がなくてはならない

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奇跡的に助かった事故

末日聖徒(ドナルド・L・ホールストロム)の話しから

カリフォルニア州で、知人のクラーク・フィルズの家を訪問した時、彼は背骨を固定する装具と、首にギブス、両手に固定装具を着けていた。その壮絶な事故について聞いた話とは、

丁度2カ月ほど前に、カリフォルニアの最高峰の一つで、標高4300メートルを超えるシャスタ山の頂上を目指すハイキングをした時の事です。

その山頂に着いて短い休息を取った後、彼は立ちあがって歩き始めたその時、つまずいてクラークは崖の端から後ろ向きに倒れ、12メートルほど滑落し、なすすべもないまま更に、凍った斜面を91メートルも転げ落ちた。

しかし驚いたことに、クラークは生き延びましたが、重傷を負い、動くことも出来なかった。その彼の所にやって来た最初の人は、「偶然にも」山岳救助隊員と救急医療従事者でした。

彼らはすぐさまクラークに応急処置を施し、体温を保つ為の装備を提供した。そしてこの一団は、「偶然にも」新しい通信機器を試験中で、携帯電話の通じない場所から緊急の救助要請をする事が出来たのである。

外傷センターで診断を受けた結果、クラークには、首、背骨、肋骨、手首に多発性骨折があり、肺に穴があき、また全身に擦り傷や切り傷も多数ある事が明らかになった。

又その日は、著名な神経外科医が「偶然にも」勤務していた。彼がこの病院にいるのは、年にわずか数回です。この医師は脊椎と頸動脈にこれほどのひどい損傷を受けながら、生存している人を、かつて見た事がない、と語っていました。

正に奇跡でした

クラークには生き長らえる可能性だけでなく、完全に機能を回復する可能性も残されていたのです。

この外科医は、クラークの事例は神経損傷に関する彼のあらゆる科学的知識に反しており、奇跡としか言いようがないと述べました。

ところで、クリスチャンの中でも 他にも信仰に満ち、神権の祝福を受け、絶えず祈り、希望にあふれていながらも、奇跡を経験していない数え切れないほどの聖徒はいらっしゃいます、少なくとも彼らが理解しているような奇跡や、ほかの人々が受けているように思える奇跡はもたらされていないのです。

そこに、神が間に入られる時もあれば、そうでない時もあるのは何故か、その理由を説明する事はできません。しかしおそらく私達に欠けているのは、何を奇跡と呼ぶのかについての理解でしょう。

奇跡とはどんな時に起こるのか

医学によって十分に説明できないような癒しを得ることや、明確な促しに注意を払い最悪の危険を回避するような事を、私達はしばしば奇跡とよびます。

 

奇跡は人の信仰の力によって与えられます。

預言者「モロナイ」はこう教えています。『どの様な時でも信じてからでなければ、奇跡を行った者はいない』

預言者アモンは次の様に述べています。『神は人が信仰によって偉大な奇跡を行う事が出来る様に、一つの手段を与えてくださいました。』

預言者ジョセフ・スミスに、神はこう啓示されました。『わたしは神であり、わたしの名を信じるすべての者にわたしは数々の奇跡を示そう』

旧約聖書のダニエル書の中で、ネブカデネザル王は、王が神として造った金の像を拝むように、3人の信心深い弟子達に言いました。そしてこう脅した「拝む事をしなければ、火の燃える炉の中に投げ込まれる」又「一体どの神がわたしの手からあなた方を救う事が出来ようか」とあざけって言った。

3人の信心深い弟子達は答えました「もし、そんな事になれば私達の仕えている神は、その火の燃える炉から私達を救いだす事ができます。たとえそうでなくても王よ、ご承知ください、私達はあなたの神々に仕えません。」

彼らには、神が自分達を救う事がおできになるという十分な確信がありました。が、「たとえそうでなくても」神の計画に対する完全な信仰があったのです。

まとめ

熟考すべき重要な問いかけは、「私達は、信仰をどこに置くのだろうか」ということです。私達の信仰は、ただ痛みや苦しみから解放されたいという、望みに向けられているだけでしょうか、

現世にいる間、身体的な守りや癒しを求めて祈り、努力するのは良いことですが、私達が最も心を向けるべき事柄は神のすべての子供達(人々)が受けられる霊的な奇跡です。

人種や国籍を問わず、また悔い改めているのであれば、何を行ってきたかにかかわらず、何が起こったかにかかわらず、私達は皆奇跡を得る可能性を等しく与えられているのです。

また、奇跡がおこる場面は、人と神の関係が密接にあるのだと思います。そして神様はご自分の計画の上に必要とする所に、奇跡が与えられると思います。

 

 







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新潟県出身  高校卒業まで新潟で過ごす。

「末日聖徒イエス・キリスト教会」会員。

教育者の家庭に生まれ育ち、7歳で母親を亡くし、後信仰深い祖母に育てられたが、10歳の時父が再婚し、その義母に姉妹差別で育てられた事に悩んだ。 大学を卒業した後、様々な人々と関わり 「人生とは何か」に、疑問を持っていたある日「末日聖徒イエス・キリスト教会」の宣教師に出会い、「救いの計画」について聞く事ができた。

そして人生の目的や人々との関わり等について、また人と神の関係について学んだ。

私と同じ疑問を持っている方、又人々との関係を良いものにしたいと思う時に、参考になればと思い聖典等を参考にして書いています