幸福の追求
(ジェフリー・R・ホランドの話参照)
幸福は私達が存在する目的であり、目指しているものです。幸福に至る道を進めば、私達はそこに到着する事ができます。
「幸福の追求」とは、幸福そのものではありません。幸福に至る道がその目標を達成するために重要であるといわれます。
アリストテレスは、こう言われました。
『幸福は人生の意味および目標で、人が存在する究極の目的であり、目指しているものである』と
ところで私達はどの様に幸福を「追求」しているでしょうか。私達が確実に知っている事が一つあります。それは、幸福はまっしぐらに走って行って簡単に見つけられる物ではない、ということです。
それは通常とても見つけにくく、はかなく、極めて捉え難いものです。すなわち他の何かを、忙しくおこなっている時にやってきます。
幸福は殆どの場合、他の事に努力している時に副産物として得られるのです。
ヘンリー・デイビット・ソローという作家はこう言っています。
『幸せは蝶のようだ、追いかければ追いかけるほど逃げていく、しかし他の事に注意を向けているとやって来て、そっとあなたの肩に止まる』
これは、福音を逆説的に表現したものの一つです。福音には次のようにあります。「多くの先の者は後になり、あとの者は先になるであろう。」(マタイ19:30)また「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしの為に自分の命を失う者はそれを見出すであろう。」(マタイ16:25)
幸福にくらす事
思うに、栄光の内にあられる神や、天の御使いたちは、常に毎日あらゆる方法でわたし達を幸せにしようとするわけではなく、試しや、試練が与えられるようにされます。その試しや試練は、この地上の国に於いて与えられると定められています。
「幸福」は包装されてわたし達のもとに届けられ、わたし達はただそれを開けて食べるだけ、というものではありません。一日24時間、一周7日間、ずっと幸福でいられる人はいません。
幸せになる為の最善の方法は、幸せな人々が行っている事を行い、幸せな人々が生活している方法で生活し、幸せな人々が歩いている道を歩くことです。
「幸福に」暮らす事ができる方法として、必要なことの一つは、福音に従って生活することです。とりわけ究極の幸福、真の平安、喜びに、ほんのわずかでも近いものは、何よりもイエス・キリストの福音に従った生活の中に見出されます。
使徒のトマスが「どうすれば幸せになる方法が分るでしょう」とイエスに問いかけた時、イエスは返答されました。『わたしの道を歩み、わたしの真理に従って生活し、わたしの生活に倣って生活しなさい、そうすれば幸福も含めてあなたが求めるものは何でも与えられ、あなたが探すものは何でも見出すでしょう。すぐに与えられる祝福もあれば、後になって与えられる祝福もあります。』
幸福を選ぶ
幸福の大半は、皆さんの手の中にあり、様々な出来事や、環境、富、不運に左右されないという事を、まず学んでください。
アメリカ合衆国の大統領「エイブラハム・リンカーン」はこう考えました。
「大抵の人は、自分で幸福になると決心した分だけ、幸せになる」と考えていました。
幸福は、それが手に入る前に長く頭の中に思い浮かべているもの、によって得られます。
数年前に人気を博したある書物の中で、著者はこう述べています。
「幸福は個人の努力の結果として得られるものです。その為に戦い、その為に懸命に努力し、それを切に求め、そしてそれを探し求めます。」
絶えずかかわりを持って 自分の祝福を得られるように、しなければなりません。そして一度幸福な状態に到達したら、決して気を緩めることなく維持するように、しなければなりません。
そしてさらにその状態を保つために、力強く努力しなければなりません。
優しく楽しい人になる
もう一つ大切な事は、幸せな人で、優しくない人や、一緒にいて楽しくない人はいません。
ほかの人の不幸の上に、自分の幸福を築き上げる事は、決して出来ません。
幸せな人は否定的でも、悲観的でも、意地悪でもありません。快活さ、信仰を基とした楽天主義が幸せな人々の特質である、という事です。
マザー・テレサの言葉にこうあります。
『あなたのもとを訪れる人を、より善い人、またより幸せな人にして帰らせてください。身をもって神の優しさを示す人になってください。あなたの顔に優しさを、あなたの笑顔にやさしさを、温かい歓迎に優しさを。』
幸福に至る道の第一歩は、悪感情、論争、怒りを生活の中に持ち込まないことです。
そして最後に大切なことは、「取り組む」ことです。
学校や、職場、あるいは結婚生活で、幸せになりたければ、それに取り組んでください。怠惰にならず、また人を傷つけないようにしてください。
無駄な時間を過ごさないでください。勤勉であり、そして働いてください。ほかの人々のために働き、奉仕してください。
それが、真の幸福を持てるための大いなる鍵の一つなのです。
「悪事は決して幸福を生じたことがない。」(アルマ41:10)