三人の姉妹の人生の生き方
(ディーター・F・ウークトドルフの話から参照)
昔、ある国に三人の姉妹が住んでいました。
長女の姉は、いつも悲しんでいました。なぜなら彼女は自分の容姿に不満を感じていたからです。鼻やあごに不満があり、肌も、足の指も不満でした。そして話し方もたどたどしく、皆から笑われていました。
人から批判されたり、誘ってもらえないので 自分だけの居場所を見つけると、悲しそうに溜息をついて思うのでした。「なぜ、こんなにもはかなく活気のない人生になったのかしら」と。
次女の姉は、常に怒っていました。自分の事を賢いと思っていましたが、学校のテストの成績は必ず自分より上位の成績の人がいるし、自分は美人でおしゃれで、魅力的だと思っていたけど、もっと美人でもっとおしゃれで、もっと魅力的な人がいるのです。また人間のオモシロ味にも欠けましたし、いつも一番になれない事が耐えられなかったのです。
そして「人生はこんな筈ではない」と思っていたので、時にはそのイラつきを、人に対して怒りをぶっつけてしまうこともあり、『人生は不公平だわ』と考えるのでした。
一方 末の妹は、二人の姉と違いいつも喜んでいました。でもその理由は姉達よりも賢いとか、もっと美しいとか、もっと才能があるとかではありませんでした。
妹にしても、人から避けられたり無視される事もありましたし、身なりや言葉についてもバカにされ、笑われることもありました。もっとひどい事を言われることもありました。でも彼女はまったく気にかけませんでした。
そして彼女は歌う事が大好きでしたから、いつも歌っていました。少し音痴で笑われても歌うのをやめませんでした。彼女はこう言いました。「人のことを気にして、何か言われて歌うのをやめるなんてあり得ないわ」
そして彼女が歌うことで、長女の姉は悲しみ、次女の姉は怒りました。
そうした人生が何年も過ぎて、三人の姉妹達はこの世を去る時が来ました。
長女の姉は、「人生はガッカリすることばかりだ」という事を何度もなんども思い知って、悲しいまま亡くなりました。
次女の姉は、毎日嫌な事を新たに見つけながら、怒ったまま亡くなりました。
末の娘は、精一杯歌い 自信に満ちた笑顔をたたえ、喜びながら亡くなりました。
もちろん人生はそれほど「シンプル」ではありませんし、人々はこの三人の姉妹達のように一つの面しか持っていない訳でもありません。でも、このような極端な例から、わたし達は自分自身について学ぶ事ができます。
私達の殆どはこの三人の姉妹達のうちの、誰かに似た部分を持っているでしょう。それについて見ていってみましょう。
世の中のとらえかた
長女の姉は、自分を「何か」や「誰か」に作用される犠牲者だと捉えていました。次から次へと自分を惨めにする事が起こっているように思ったのです。
この様な生き方は、自分の感情や行いを他人にコントロールさせているのです。あらゆる意見の風に翻弄されます。
自分が人から何と言われるかを、気にするようなら「自分が何者であるか」を知っておいてください。つまり
人は皆、天の高貴な家系に属する、全宇宙を支配する天父の子供なのです。霊的な神のDNAを持っているのです。
人間は自分の霊が創造された時に授かった、独特の賜物があり、それをこれまでの人生で伸ばしてきました。
私達は神の子供です。そして神の御手の内にあります。ですから人々の言葉は何の意味も成しません。
天父は人々を愛しておられますから、道に迷い見捨てられ、忘れられたと思っても、いつも私達を見守っていてくださるのです。この真理を心の奥深くにしみ込ませたら悲しまなくてもよくなります。人は果たすべき永遠の行く末があるのです。
次女の姉は、世の中に対して怒っていました。自分の人生で起こる問題は全て、他人のせいだ と感じていました。そしてすべてに怒りをぶっつけていました。
人は全員自分勝手で狭い考え方や、憎しみから行動していると彼女は信じていました。
一方自分は正義や誠実さや愛といった、良い動機で行動していると思っていました。
こういう考え方は、非常によく見受けられます。私達は自分に反対する人々に会うとき、その人達に問題があると考えがちです。そうすると、最悪な動機を持って行動するのは、いとも簡単になります。
心の中に怒りや、辱めや、暴言を吐くとき、それは義にかなっていません。
神はこう教えられました。『わたしはあなた方に言う、あなた方の敵を愛し、あなた方をのろう者を祝福し、あなた方を憎む者に善をなし、あなた方を不当に扱い、迫害する者のために祈りなさい。こうして天におられるあなた方の父の子となるためである』(マタイ5:44-45)
私達を悪意をもって利用し、迫害するかもしれない人々にも手を差し伸べ祝福し、やさしく教え導きましょう。
末の妹は、神の娘を代表しています。彼女は非常に難しい事を成し遂げました。
あざけられ、困難に遭っても神を信頼したのです。周囲の人からばかにされても、信仰と希望を持ち続けたのです。
喜びにあふれて生活しました。でもそれは状況が喜びに満ちていたからではなく、彼女が喜びに満ちていたからです。
人生は選びによって決まります
反対の力を受けずに この世の旅路を終える人は一人もいません。
この世から称賛され、受け入れられるという約束は不確かで、不信実で満足を与えません。しかし神の約束は確かで、誠実で、喜びにあふれ、永久につづくのです。
人生において、誰にもどうしようも出来ないことが数多く起こるでしょう。しかし結局は自分の行く末とその途中で経験する事柄を選ぶ力を誰もが持っています。
置かれた状況が、自分を悲しむ者にさせたり、起こる者にさせないようにしてください。それには考え方をかえて、何事にも感謝で胸を満たすようにするのです。難しいかも知れませんがそれは誰にでも出来ることです。
末娘のように声をあげ、人生を賛美と輝きに満たす交響曲を奏でる様に生き、神の愛を感じ取ることです。
その歌は、音程が外れていたり、多少うるさく聞こえたりしても、天父にとっては、最も貴く美しい歌、神と人への奉仕についての崇高な聖めの歌なのです。
まとめ
人生は、自分の考え方によって、その生き様は随分変わってきます。
この世での人生はたった数十年です。その一度きりの人生を、幸せに生きるか、つまらなく生きるか、楽しく生きるか、卑屈になって生きるか、人を羨んだり、憎んだりする事の多い人生にするか、それらの全ては自分の考え方だけで決まります。
そして、どう考えるかどう決めるか分らない時は、「神様ならどうするだろう」と考えて見ることです。そして明らかに神様のやらない事はしないことです。
人の悪い言葉は聞かないでください。誰かの悪口を聞いたら、その人の良い所を思ってください(あの人にはこんな良い面があるわ)と思います。
歌う事や、笑う事は楽しい気分にしますから、いつもそうしていると幸せや、良い事に出会います。だから辛いことや、悲しい事があったら歌うことです。