私達は様々な場にあって物事を決定しなければならない
(トーマス・S・モンソンの話しから)
{歴史は小さな決断によって変わる}と語った人がいますが、人の生涯についても同じことが言えます。
私達の生涯は、私達の下す決定のいかんにかかっています。言いかえれば、「日々の決定が人の行く末を決める」のです。
決定には永遠の結果が伴います。その一つの例として旧約聖書の創世記に「ノアの箱舟」というのがあります。
ノアは、神の預言者として正しく全き人であった。当時の世は乱れていて暴虐が地に満ちていた。それを見られた神は、ノアに言われた。「わたしは全ての人を絶やそうと決心した」そしてノアに言った「あなたは箱船を造りなさい、わたしは地の上に洪水を送って命の息のある肉なるものを、皆天の下から滅ぼし去る。地にあるものは皆死に絶えるであろう」
そしてノアに、箱船を造ってあなたと家族とは皆箱船に入りなさい。と言われた(創世期7:1-10)その時代の人々は、ノアが箱船を造るのを見て笑い、あざけりました。しかし雨が降り始め、しかもその雨が一向に止みそうにないのを見て、あざけり笑うのを止めました。彼らは神の預言者の教えに反する決定を下したのです。その決定の代価として、自分の命を失う事になったのでした。
また他の例として、
「第二次世界大戦の記録」を読むと、この時代の最大の決定は、アイゼンハワー将軍と上級将校たちが、フランスのノルマンジー侵攻を決定した事かもしれません。
ドイツ軍の将校たちは、連合軍の上陸地点は「パ・ド・カレー」の海岸に間違いないと信じて疑いませんでした。そして強力な軍隊をカレー海岸に集結させ、上陸してくる軍隊を海に追い返す計画でした。
しかしこの防御作戦は失敗でした。連合軍はノルマンジーに上陸し、灌木の間を縫って進行してきたのです。そしてドイツ軍が反撃を開始する前に、海岸線から遠く侵攻していたのです。こうして第二次世界大戦は、にわかに終結の途をたどることになりました。
ひとつの決定が行く末を決めたのです。
私達は、皆 時として極めて重要な決定を下さなければならない事があります。私達が下す決定は、ノルマンジ―の海岸に上陸したり、ノアの時代の人々のような命を掛ける決定の場に立たされる事はないかもしれません、しかしその決定はどれも皆とても大切なものばかりです。
最も重要な決定は三つ
最も重要な決定を挙げるとしたら、それは三つあります。
第一番目に、私達は誰を信じるかということです。
第二番目は、誰と結婚するかという決定です。
第三番目に、自分の生涯の仕事は何かということです。
第一番目の質問、「私達は誰を信じればよい」のでしょうか?
「神様」を信頼すべきだと思います。聖典に「この教えを行う者は、これが神からのものか、人からのものか、わかるであろう」と約束されているからです。 例えば次のような話しから考えてみましょう。
ある日曜日、カナダの教会の伝道本部に電話がかかってきました。丁度その場にいた女性が電話を取りました。電話の向こうの人は『そちらは末日聖徒イエス・キリスト教会の本部ですか』と尋ねてきました。「はいそうです何かお助けする事でもございますか」と問い返した所『ええ私達オランダから来た者ですが、末日聖徒イエス・キリスト教会の事を耳にしたものですから、私達もっと教会の事が知りたいのです』「そうですか喜んでお手伝いしたいと思います」 すると相手の婦人は『今、子供達が水ぼうそうにかかっています、それで子供達が良くなるまで待っていただけるのでしたら、喜んで宣教師の訪問を受けたいと思います』と言いました。
電話を受けた女性は、後日宣教師を送る事を約束しました。そして本部の二人の宣教師に伝えました。宣教師も訪問の約束をしてくれました。
ところがこの二人の宣教師は、訪問を引きのばしたのです。
一日が一週間になり、一週間が数週間になりました。電話を受けた女性がしびれをきらして、宣教師達に「今晩はあのオランダ人の家族を訪問していただけますか」とたずねると「すみません今晩はとても忙しいものですから、でも必ず近い内に訪問します」と言いました。そこで彼女はしびれをきらしてこう言いました「もし今晩あのオランダ人家族を訪問できないようでしたら、私と主人の二人で訪問します」すると宣教師達は、あわてて「今晩訪問するよう計画します」と答えました。
こうして宣教師達は、愛に溢れる家庭を訪れ、家族の人々に福音を教えました。そして家族全員が教会員になりました。
その後 彼らは教会の為に傑出した働きをしました。
ここで申し上げたい事は、宣教師がオランダ人のデイガ―家を訪問したのは、重大な決定であり、電話を伝えた女性が「もしあなた方が行かなければ、私と夫が行きます」と言ったのは大切な決定であり、オランダ人がカナダ伝道部に電話して、宣教師を送っていただけませんか、と言ったのはデイガ―家の大切な決定でした。
第二番目の質問、「誰と結婚するか」ということです。
ユタ大学で一年生の為のダンスパ―テ―があり、私は他の高校出身の女性と踊っていました。その時E高校出身の一人の女性がパートナーと踊っているのが目に入りました。彼女は「フランシス・ジョンソン」と言いましたが、当時私は彼女の事を知りませんでした。けれど私は一目見て彼女と話して見たいと思いました。しかし彼女は踊りながら私の視界から見えなくなり、そのまま三カ月程会う事はありませんでした。
ところがある日、電車を待っていると あの彼女を見かけました。
その女性は、別の女性と、それに若い男性と立っていたのです。しかし連れの男性は、かつて同じ学校に居たことのある人です。でも私は彼の名前を覚えていませんでした。私はどうすべきか決心しなければなりません。
これは勇気のいる決心だぞ、どうすればよいのだろうと思った時、私は当って砕けようと思いました。
そして勇気を振り絞り、連れの男性の方へつかつかと歩いて行ってこう言いました。「こんにちは、ところで君は僕と同じ学校に通っていなかったかい?」ところが彼も「君の名前を思い出せないんだけど」と言うのです
そこで私達は、互いに名前を紹介し合いました。それから彼はその女性を紹介してくれたのです。
その日私は、自分の住所録に彼女を訪問する事を書いておきました。そして実際に訪問したのです。この決定は、これまで私がおこなった中で、最も重要な決定でした。
この決定がなかったら私は、彼女との結婚はなかったと思いなす。
決定は、誰とデートするかではなく、誰と結婚するかを決める非常な大切な責任を負っているのです。
第三番目の質問、「私の生涯の仕事は何か」という事ですが
人は元来自分が尊敬し、敬愛する人に倣いたいと望むものです。
しかし自分が楽しめる分野で、生涯の仕事を見いだせる様に研究し、備えて欲しいということです。なぜなら、私達は自分の生涯の大部分をその分野で過ごす事になるからです。
しかもそれは知性を磨き、自分の才能や能力を最大限に生かす事の、出来る分野でなければなりません。
これらの条件は、私達が一生の仕事を選ぶ上で、とても大切なことです。
人生の設計
また準備をよく行うことによって、考える力と決断力が養われます。
私達の中には、自分の失敗の言い訳をしようとする人が大勢います。しかし何であれ失敗は自分にあるのです。自分がその道を選んだのです。
勇気のある道を選ぶ事に、恐れる事のないようにして欲しいと思います。
困難な道に挑戦し、自分の才能を十分に活用するようにして頂きたいと思います。神様は必ず私達がその責任を、果たせるようにしてくださる筈です。
たとえつまずき、期待した成果を上げる事が出来なくても、落胆してはなりません。立ちあがってもう一度努力することです。
まとめ
私はだれを信じたらよいのでしょうか。 私は誰と結婚すればよいのでしょうか。 私の生涯の仕事は何でしょうか。
私達は神の助けなしには、いかなる決定もできません。しかも私達が努力し、願うならば、神様の導きはすべての人に与えられるはずです。
私達が重要な決定を下そうとする時、神様の導きを求めることです。
神に願う場合、「何も考えなくても求めさえすれば、与えられる」と言うものではありません。
心の中でその事についてよく思い計り、その後、それが正しいかどうか神に尋ねることです。もしそれが正しければ、胸の内からそれが正しいと感じるであろう。しかし、もしそれが正しくなければ、その様な感じは少しも受けず、想いが鈍くなり、誤っている事柄を忘れるようになる。これが神からの答えです。