困難は益となる
人は誰でも生きて行く過程で、困難な事に見舞われます。
その困難もさまざまありますが、困難は否定的に考えるのではなく、良く考えれば、困難は私達を強くし、謙遜にし、そして自分の能力を発揮する機会を与えてくれるものです。
人生で困難が訪れるのは、何ら驚くべきことではありません。
困難は犠牲を伴いますが、犠牲には当然のこととして、何か好ましいものを諦めることが伴います。
しかし、私達はその後に受ける祝福に比べれば、それがわずかな代価であることを、理解します。
困難は人生の計画の一部
困難は、神の福音の計画の一部なのです。
わたし達にとって この人生の目的の一つは試めしを受けることです。
それらの試練を通して、神は忍耐と信仰を教えます。
それを よく耐え忍ぶように教え、あなたの益となるであろうと、約束されました。
だから私達が、安易な悪ではなく、困難な善をいつも選ぶ様にして頂きたいと、いうわけです。
ひな鳥にとって、卵の固い殻を破って出るのは、大変なことです。しかし、出やすいようにしてあげると、ひな鳥は生きて行くのに必要な強さが身につきません。
同様に蝶は繭から抜け出そうと、もがく事でその後生きて行く為の強さを得ます。
これらの例から、困難は常に存在することが分ります。誰もが問題に直面します。変えられるのは、困難にどのように対応するかです。
わたし達は、それぞれが困難にどの様に対応するかを、選ぶのです。
安易な道に気をつける
ところで世間には、大富豪がたくさんいらっしゃいます。彼らは、ほぼ全員が 何も無いところから多大な努力によって、事業を成功させてきております。
ところで、そういう彼らの一部の人達から聞くことは、「子供には楽をさせてあげたい」という言葉です。これは残念な言い分です。彼らは自分が味わった苦労を、子供にはさせたくなかったのです。
しかし言い換えると、まさに自分に成功をもたらせてくれたものを、子供から奪おうとしているのです。
その一方で、異なる方法を取った親もいらっしゃいます。
ある成功者の父親は、息子が8歳になった時、経済的に自分の力でやっていくように、と言ったということですが、でもいくら何でも8歳は早すぎますが、
この話に感化されたある家族が、家族で自分達の方針を作り、子供はそれぞれ高校を卒業したら、経済的に独立し、その先の教育(大学や大学院等)や生活は自分の力で、やっていく(まさに自立する)ことにしました。
幸い 子供達は賢く対応しました。全員が大学を卒業し、大学院を修了した子供達もいて、皆が自力で達成しました。
安易な道ではありませんでしたが、成し遂げました。勤勉さと信仰をもって成し遂げたのです。
わたし達は、神を信頼する信仰を持つことによって、成し遂げる事が出来ます。神はわたし達に最も良いものを与えたいと、望んでおられますから、わたし達の祈りに応えてくださいます。
恐れてはならない
今日の世の中は、困難に満ちています。悪が蔓延し、あらゆる国に腐敗が見られ、安全な場所にもテロ行為がおよび、経済破綻、失業、病気、自然災害、内戦、独裁的な指導者、などが見られます。
わたし達は何をおこなうべきでしょうか。
何をするときにも、恐れから決断したり、行動したりするべきではありません。
神が私達にくださったのは、臆する霊ではないのです。
困難な時期に対する神の答えは、信仰をもって前進することです。
どのような事が困難か、人によって意見が異なるかもしれません。どの様なことであっても、信仰をもって前進し、神とその計画を信頼する人にとって、困難は益になります。