神は成すべき業を一人一人に用意しておられる
神は モーセに言われた。「わたしは あなたに一つの業を用意している」
神様が 自分のために業を用意しているか、どうかを考えた事があるでしょうか、神が自分のために特に自分に、この世で成し遂げて貰う為に、用意しておられる重要な事があると思いますでしょうか、
しかし、それは「然り」です。あるのです。
神は私達一人一人のために大切な業を用意しておられます。
この地上に生れて来る前に私達は、何らかの責任が課せられていました。それが何であるか、具体的には今は思い出せなくても、かつて私達がそれに同意した栄えある事実は変わりません。
天の御父は、私達が成し遂げるはずのすばらしい事柄を具体的に用意しておられるのです。(エペソ人2:10参照)
神がお与えになるこの責任は、少数の特権階級の人にではなく、すべての人に用意されています。性別や年齢、人種、国語、収入の程度、社会的地位は関係ありません。私達の誰もが神の業を勧める上で、果たすべき重要な役割を持っているのです。
天の御父は重要な事柄を行う際に、なぜ私達を用いられるのかと、疑問に思う人もいます。しかし神は常に平凡な人々を使って非凡な業を成し遂げられます。(1コリント1:27-28)
私達は自ら選択し行動するものであり、義にかなう多くのことを成し遂げるために、自らの内に力があるのです。
神は、私達が自分の事を考えているよりも、さらに私達のことを気にかけておられます。私達は、この時代のこの場所に取っておかれた者です。
神は世界を変えるために、私達を必要としておられます。
私達に対する神の御心を受け入れるなら、不可能と思えることを、成し遂げている自分に気づくことでしょう。
では、神が望んでおられる業を理解し、成し遂げるにはどうすればよいのでしょうか。役に立つ4つの原則を紹介しましょう。
ほかの人に心を向ける
まずは、ほかの人に心を向けてください。私達はキリストに従って良い働きをしながら、一巡回することができます。(使徒10:38)
私達は教育を受け、家族を持ち、生活費を稼ぐ必要がありますが、神が自分に望んでおられる特別なことは何か、もっと他にあるのではないか、という事を考えた時、聖典にはこうあります。「もしあなたが望むならば、あなたはこの時代に、大いに善を行う仲立ちとなるであろう」ということです。
神から授かる責任のおもな目的は、人を祝福し、大いに善を行うことだということでした。
私達は何を勉強し、職業とし、何処に住むか、などの人生の決断を下す際に、どの様にほかの人々を助けられるか、という観点から選択することが出来るのです。
例えばある家族が引っ越しをする時、社会的、経済的にも相当な助けを、必要としている地域に住んだ方が、いいと感じてその地域に住んだ時、神は実はこの家族を通して、何年にもわたってこの地域の多くの人を助けました。
霊的な賜物を見つけてのばす
二つ目に、霊的な賜物を見つけて伸ばすことです。人は皆各人に神の御霊によって、一つの賜物(才能)が与えられます。そしてすべての人がそれによって益を得られるようになっています。(このブログの『才能と賜物』のカテゴリから「才能を見つけて仕事に生かす」を見てください)
そうして自分の賜物や才能がわかったら、それを使って人を助ける事ができます。
たとえば、信仰の貴さを思い起こさせるイラストを描く、若い男性がいました。その男性が描いた救い主の肖像画を、ある人のお気にいりでした。
その人はその絵を家に飾って、毎日見ていると勇気づけられ、やる気になりました。この時神様は、イラストの若者を通して、力のない人に勇気と力を与えられました。
試練から学ぶ
三つ目は、神が自分に用意してくださった業が、自分が試練に遭ったとき初めて分る事が出来て、その業に携わる備えが出来ることがあります。
ある姉妹がいました、姉は美人で小さい頃から周りの人達から、ちやほやされて育ち、反面妹は、姉とはまったく別顔のブスでした。そういう二人の人生はやはり全く逆でした。
姉は「黒革の手帳」の物語と同じ様な仕事に生き、お金をたくさん儲けてお金持ちになり、高慢でした。
妹は普通の地味な仕事をし、男性と家庭にも恵まれず、貧しい生活しか出来ませんでした。
何年かたって姉は、バブル崩壊で商売がうまくいかなくなり、お金がなくなり、借金を重ねて、その借金の返済に追われ、貧乏の妹にまで借金をさせてお金を借りるなどで、天から地に落ちてしまいました。
でも美人でしたから、数年後にお金持ちの男性と結婚して、豊かな生活が出来るようになりました。しかし、妹は変わらぬ貧しい生活でした。
その時姉は、自分の貧困に陥った生活の時の思いを忘れず、妹に毎月の生活を助けてあげました。
自分の困難な経験から、人を助ける事を思いおこさせます。
神に頼ってください
四つ目は、信仰をもって真心から神に祈るならば、私達が神から受けている責任を、神は明らかにしてくださいます。
神はふさわしい時に、必要な扉を開けてくださいます。(黙示録3:8)
発達生涯がある子供をもった、あるシングルマザーは、家族をまともに養っていけるのかどうか、疑問に思いました。
このもっとも大切な使命を、果たすのは難しいことではありましたが、神がたえず力づけて助けてくれるのを、感じながら 彼女は無事にそれを果たすことに努めています。
神から与えられた務めはどれも重要です。神が私達を通して働かれるとき、成し遂げたことを、自分の功績だと考えてはなりません。
マザー・テレサが、貧しい人を救うことに生涯をささげた人として、レポーターが、評価しようとすると、マザーテレサはこう言いました。
「これは神の業です。私は神の手にある鉛筆のようなものです。神が考え、神がお書きになります。鉛筆は使われているにすぎないのです。」
『自分に与えられた使命』とは自分自身を、義の武器として神にささげることです。