人生の目的を知り人間関係を学ぶ

人生の目的を知り、その目的に至るまでの生活や人々との関わり方について、学ぶ事が出来る。

人との関わり

謙遜という徳を受け入れ、高慢を克服する

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日食とたとえ話し

(ゲーリー・E・スティーブンソンの話参考)

2017年8月21日にアメリカで、「皆既日食」が起こりました。

皆既日食は、月が地球と太陽の間に入り、太陽の表面から発せられる光をほぼ完全に、遮る現象です。これは大変な驚くべき現象です。

太陽を一般的な自転車のタイヤの大きさだとすると、それに比べて月は小石ほどの大きさにすぎません。

私達の熱、光、命のまさに源である太陽が、そんな小さいものに、それほどうまく覆い隠されてしまうことは、どのようにして起こるのでしょうか

太陽の大きさは、月の400倍ですが、地球から太陽の距離も、地球から月の400倍あります。

この配置のため地球から見ると、太陽と月は同じ大きさに見えるのです。だから太陽と月が一列に並ぶと、月は太陽全体を覆い隠すように見えます。

そしてこの時 太陽の光も、熱も遮られるので暗くなり、気温も下がります。日食の最中には「日食盲」といわれる、恒久的な眼の損傷を防ぐために、また眼を害から守るために、特別なフィルターがかかったレンズ入りの眼鏡を使います。

これを、日々の生活の中でたとえて言うなら、とても小さな月が壮大な太陽を遮って、その光と温もりを消す事が出来るように、「霊的な日食」も起こり得ます。

人の親指ほどの小さなものでさえ、目に近づけると巨大な太陽が見えなくなります。しかし太陽は依然としてそこにあります。

太陽を見えなくするのは、その人自身なのです。

「何かを優先して」近くに引き寄せすぎると正しい事が見えなくなってしまいます。

福音の眼鏡をかける

日食の太陽を見る時、目の損傷や日食盲から守る為に、特別な眼鏡が使われるといいました。

日常の生活でも目を守り、害を和らげてくれる御霊のレンズを通して、霊的な盲目を避ける事ができます。世の中の生活では、善に対する敵対者があって、それは「サタン」からきますが、サタンの目標がこの世の誘惑を通して注意をそらさせ、選択の自由を取り上げることになります。

「福音の眼鏡を通して見る」というのは、私達は目隠しをすることではなく、逆に福音のレンズを通して問題を見るよう、勧めているのです。

福音の眼鏡を掛けると、優先順位や問題、誘惑、さらには自分の過ちについても、より善い視点、焦点、視野で見ることができます。

皮肉なことに、称賛すべき良い事柄に取り組んでいても、近くに引き寄せ過ぎたために、福音の光が遮られ、闇をもたらす事があります。

教育や繁栄、力や影響、野望、才能や賜物さえも、これらの危険や目くらましに、なることがあるのです。

どんな良い事でも「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」といいます。

一線をこえれば、目標は重荷になり、大志は足かせとなるのです。

「霊的日食」を避けるうえで役立つ事柄についてさらにくわしくお話したいと思います。

ソーシャルメディヤ

ソーシャルメディヤなどのテクノロジーが「救い主(イエス・キリスト)」についての知識を、あらゆる国民、部族、国語の民、民族の間に広めるのを促進することについて説明されてきました。これらのソーシャルメディヤは、家族や友人、仲間に福音を伝えるうえでとても効果的で有効な手段になりました。

しかしこれらのテクノロジーに、多くの利点と適切な使い道があっても、近くに引き寄せすぎると、霊的な日食を引き起こし、福音の輝きや温もりを遮る危険性があります。

ソーシャルメディヤ や携帯アプリ、ゲームの利用に過度に時間を費やすと、人との直接の交わりが減ってしまいます。

この様に個々の会話が失われることで、青年の間でソーシャルスキルの発達が結婚に影響が及び、抑制される可能性があります。

ソーシャルメディヤへの投稿では、絵に描いたような理想的な写真が、多くなりがちです。室内装飾の美しい画像や、美しい休暇スポット、笑顔の自撮り写真、手のこんだ料理、手が届かない程のステキなスタイルの人の画像等を目にします。これは現実の生活の実際の出来ごとを、完全に映し出した写真ではありません。

一見したところ 平凡な自分の存在をソーシャルメディヤに掲載される、美しく編集された他の人の生活ぶりと比較すると、失望や妬み、自分は不出来であるという感情まで、抱くかもしれません。

現実を理想化することと、比較に疲れてしまうことです。

人生における成功は、「いいね」の数や、ソーシャルメディヤの「友達」や、フォロワ―の人数で決まるのではありません。

人々とある意味のある結びつきをもち、彼らに光を加えることこそが成功なのです。

福音のレンズを通して、ソーシャルメディヤを見ることにより、生活における霊的な日食が起きるのを防ぐ事ができます。

高 慢

次に、昔からのつまづきの石である「高慢」についてお話します。

高慢は「謙虚」の反対です。人は高慢になっているとき、ほかの人よりも自分を尊ぶようになりがちです。

高慢な人は人と競争し、人よりも多くのものを求め、自分が人よりも優れていると思いこみます。

高慢は怒りと嫌悪感を、かきたてる事がよくあります。この感情があると恨みをいだくようになったり、赦すことができなくなったりします。

しかし高慢は、謙遜というキリストの様な特質によって、克服できるのです。

人との関係は、謙遜になることによって育まれるのであり、高慢な気持ちがあると弱くなります。

謙遜と柔和は表裏一体なのです。柔和で心のへりくだった人でなければ、神の御前に受け入れられないことを、知っておかれたらよいと思います。

 

私達が謙遜という徳を受け入れ、高慢という霊的な日食を避けようと努力出来るようにいのります。

 

 

 

 







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ようこそ 私は管理人の齋藤正子です。

新潟県出身  高校卒業まで新潟で過ごす。

「末日聖徒イエス・キリスト教会」会員。

教育者の家庭に生まれ育ち、7歳で母親を亡くし、後信仰深い祖母に育てられたが、10歳の時父が再婚し、その義母に姉妹差別で育てられた事に悩んだ。 大学を卒業した後、様々な人々と関わり 「人生とは何か」に、疑問を持っていたある日「末日聖徒イエス・キリスト教会」の宣教師に出会い、「救いの計画」について聞く事ができた。

そして人生の目的や人々との関わり等について、また人と神の関係について学んだ。

私と同じ疑問を持っている方、又人々との関係を良いものにしたいと思う時に、参考になればと思い聖典等を参考にして書いています