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真理とは何か

モルモン書は、末日聖徒イエス・キリスト教会の要石とされる聖典です

投稿日:2018年2月28日 更新日:

モルモン書の簡単な紹介

「モルモン書」という聖典があります。このモルモン書は末日聖徒イエス・キリスト教会の要石です。このモルモン書の内容を簡単に紹介すると、次のような内容です。

 

『モルモン書は、紀元前600年から紀元400年までの、アメリカ先住民族の歴史を載せた書物である。

紀元前600年頃、神様はエルサレムに住んでいた民に、何人かの預言者を遣わしました。その一人が リーハイです。リーハイは人々にキリストを信じ、正しい行いをするように伝えました。が、多くの人々は耳を傾けませんでした。そしてリーハイの命を取ろうとしました。

そこで神様は、リーハイに 家族と、彼の話を信じた人々を連れて、エルサレムを離れる様に命じられました。 彼らの一行は長い航海の後に、古代アメリカ大陸に着きました。

この本には、このリーハイの子孫の約千年間の歴史が記されています。彼らもキリストを信じて、キリストの降誕を待ち望みました。 ここに出て来る「ニーファイ」や「ヤコブ」「アルマ」などの署名は、歴史を記録した代表的な預言者の名前です。

この書の中のクライマックスは、復活されたイエス・キリストのアメリカ大陸への訪れです。その後、しばらくは平和が続きますが、人々は次第にその教えから離れていきました。そしてついに大きな戦争が起こり、一つの文明が滅びてしまいます。この時代の最後の預言者が「モルモン」です

彼はそれまでの記録を短くまとめ、金版に記しました。 その記録は現代の預言者「ジョセフ・スミス(23歳)」を通し、神の力によって翻訳され「モルモン書」として出版されたのです(1830年3月26日) その後1830年4月6日に「末日聖徒イエス・キリスト教会」が組織されました。

このモルモン書は、聖書がイスラエル民族の歴史書である点とよく似ています。イエス・キリストが神の御子であり、人類の贖い主である事を証するものです。』

これは、「末日聖徒イエス・キリスト教会」の会員の宗教の要石であるだけでなく、聖徒の証の かなめ石ともなり得るものです。その為に世の中の試練や答えのない疑問に直面した時にも、聖徒達の証を確固とした不動のものとすることができます。

モルモン書は イエス・キリストの神聖について、ジョセフ・スミスが預言者として召された事について、そしてこの教会が間違いなく真実である事について証する

(ダット・R・カリスターの話しから)

ところで世間には必ず、多くの批評家達が納得の行かない事を探して議論を集めます。

この書物が真実の天秤にかけられた一つの重りであれば、すべての批評家達の議論を集めた重りよりも、しのぐ重量があります。

なぜなら、もしこの書物が真実ならば、それに反対する歴史的、あるいはその他の議論があるとしても、ジョセフ・スミスは神の預言者であって、この教会が回復された「イエス・キリストの教会」ということになるからです。

その為に批評家達は、執拗に「モルモン書」が間違っていると証明しようとしています。しかし、彼らが立ち向かう障害は、この書物が真実であるが故に、克服することが出来ないのです。

まず第一に、批評家達は ジョセフ・スミスという23歳の農家の青年が、満足な教育も受けずに、数百にも及ぶ独特な人名や地名、そして詳細にわたるストーリーや出来事を含む書物をどのようにして創作出来たのかを、説明出来なければなりません。

そうなると多くの批評家達は、ジョセフ・スミスは創作の天才であって、モルモン書の歴史的な内容を創作する為に、無数の書物やそのほか地域の様々な資料をよりどころにしたのだ、と主張します。

しかしそうした主張にもかかわらず、ジョセフ・スミスが翻訳を始める前に、そうした疑わしい資料を一つでも手にしていたのを見たことがあると主張する証人は、一人も存在しません。

たとえこの主張が真実だとしても、モルモン書の存在を説明するには、まったくもって不十分です。また以下の疑問にも答える必要があります。

それは、どのようにしてジョセフが、そうした疑わしい資料のすべてに目を通し、無関係なものを取り除き、誰がどのような所で、いつといった錯綜する情報について一貫性を保ち、それを完全な記憶力によって書き取らせることが出来たのか、ということです。なぜなら、ジョセフ・スミスは翻訳する時にはいかなる覚え書きのような物も一切使わなかったからです。

それではジョセフは、覚え書きも使わずにどのようにして500ページ以上にもわたる書物を口述するという偉業を成し遂げたのでしょうか。

そのためには、彼は創作の天才であるだけでなく、桁外れの鮮明な記憶力を持っていなければなりません。しかしこれが真実だとしたら、彼を批判する人々は、なぜこの並外れた才能に注目しなかったのでしょうか。

まだあります。これまでの主張は、この書物の歴史的な面にしか向けられていません。本質的な問題はまだ残っています。

それは、ジョセフがどのようにして御霊で光り輝く書物を産みだしたのか、どこからあのような深遠な教義を学んだのかということです。その教義の多くは、当時のクリスチャンの信仰の意味を明らかにしたり、その信仰に相反したりするものなのです。

例えばモルモン書では、大部分のクリスチャンの信仰に反して、アダムの堕落は積極的な前進であったと教えています。

また、モルモン書はバプテスマの際に交わされる聖約についても、明らかにしていますが、それは聖書では述べられていません。

加えて、こう尋ねる人がいるかもいれません。キリストの贖罪のゆえにわたし達は清められるだけでなく、完全な者となることが出来るというような力強い洞察力をジョセフはどこで学んだのだろうか。

アルマ書第32章にあるような、信仰に関する実に驚くべき説教をどこで知ったのでしょうか。

あるいは、救い主の贖罪に関するベニヤミン王の説教のように、恐らくあらゆる聖典の中で、この話題に関する最も優れた説教についてはどうだろうか。

あるいは、あれだけの複雑さと教義的な豊かさを合わせ持つオリーブの木の比喩はどうだろうか、私はこの比喩を読む時には、図を書かなければ分からないほどです。

モルモン書にはあらゆる場面で神が残された形跡を見る

モルモン書にはあらゆる場面で神が残された形跡を見ることが出来ます。

その壮大な教義上の真理、特にイエス・キリストの贖罪に関する傑出した説教の数々がその証拠となっています。

もしジョセフが預言者でなかったとしたら、こうした教義上の真理や、そのほか数多くの注目に値する洞察の出典を説明する為には、批評家達は、ジョセフが神学上の天才でもあったという議論を進める必要も出てきます。

もしそうだとしても、次のような疑問が浮かぶかも知れません。それは、キリストが教え導かれた時以来1800年にわたって、あれほどの独特で明瞭な教義を広く生み出した人物が、ジョセフだけだったというのはなぜだろうか、

それは、この書物の源が優れた才能にあるのではなく、啓示にあるからです。

そうでなければ、彼はどのようにして数々の人名や地名、出来事を組み込みながら、全体に調和がとれ、矛盾もない書物として書き著すことが出来たのでしょうか。

どのようにして詳細な戦略を書き上げ、説得力のある説教の数々を生み出し、例えば、「あなた方が同胞のために務めめるのは、とりもなおさず、あなたがたの神のために務めるのである」(モーサヤ2:17)、とか「人が存在するのは喜びを得るためである」(2ニーファイ2:25)といったような言葉を作り出すことができたでしょうか。これらは生命力を宿したメッセージなのです。

23歳のジョセフ・スミスは、この不朽の作品を、およそ65日という作業期間で初稿だけで、書き上げるために必要な技量があったと主張することは、現実離れしています。

真実を受け入れない人々の直面する障害

さて、たとえこれまでの論点を、多少疑問に感じながらでも、すべて受け入れたとしても、批評家達は、漠然と浮かび上がるもう一つの障害に直面しなければなりません。

それは、ジョセフが「モルモン書は金版に書かれていた」と主張したことです。この主張については当時から批判がやむことはありませんでした。

古代の歴史というものは、パピルスか羊皮紙に書かれたことは誰もが知っていたことでした。しかし、その後何年もたってから、金属の版に書かれた古代の文書が発見されたのです。

加えて、批評家達は、モルモン書に書かれているようなセメントの使用は、当時の初期のアメリカ人の専門的技術のレベルをはるかに、超えているという主張をしました。

しかしその後、古代アメリカでセメントを使った建築物が見つかっています。さて、批評家達はこうした、また同じ様な予期せぬ発見の知らせにどう対処しようとするのでしょうか。

こうしてあらゆることが調べつくされても、批評家達が主張するような、こうした疑わしい要素や力を、なお信じる人がいることを不思議に思うかもしれません。

偶然あらゆる要素が一つに合わさって、ジョセフがモルモン書を書けるようになり、この悪魔の作り話しを完成させたというのです。しかし、このような主張は筋が通っていると言えるのでしょうか。

そうした主張とまったく正反対に、この書物は何百万という人々に霊感を与え、サタンを退け、キリストに近い生活を送れるようにしてくれています。

批評家達の思考の道筋を信じようという人達もいるかもしれません。しかし、それは知的にも霊的にも、袋小路に迷い込むようなものです。

 

ある善良で聡明な、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員が、しばらくの間教会から離れていました。 最近その彼から、教会に戻る事にしたという連絡を受けました。その彼の話を聞いたところによると、

「最初のうちは、自分はモルモン書が歴史的にも、地理的にも、言語学的にも、文化的にも証明されるものであってほしいと望んでいたんだ。けれども自分が見方を変えて、イエス・キリストの福音とイエスの救いの働きについて、モルモン書がどう教えているかということに目をむけたとき、これが真実の書物だという証が生まれはじめた。

ある日、自分の部屋でモルモン書を読んでいるとき、少し休んでひざまずき、心からの祈りをささげた。すると、この教会とモルモン書が疑いなく真実だということを、天の御父が私の霊にささやかれた、とはっきり感じたんだ。

わたしの3年半にわたって教会を改めて吟味して、その真理に心の底から確信をもって戻って来ることが出来たんだ。」 という証です。

 

モルモン書は、イエス・キリストの神性について、ジョセフ・スミスが預言者として召されたことについて、そしてこの教会が間違いなく真実であることについて証する、人の心をひきつける神の証です。

 

 

 







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ようこそ 私は管理人の齋藤正子です。

新潟県出身  高校卒業まで新潟で過ごす。

「末日聖徒イエス・キリスト教会」会員。

教育者の家庭に生まれ育ち、7歳で母親を亡くし、後信仰深い祖母に育てられたが、10歳の時父が再婚し、その義母に姉妹差別で育てられた事に悩んだ。 大学を卒業した後、様々な人々と関わり 「人生とは何か」に、疑問を持っていたある日「末日聖徒イエス・キリスト教会」の宣教師に出会い、「救いの計画」について聞く事ができた。

そして人生の目的や人々との関わり等について、また人と神の関係について学んだ。

私と同じ疑問を持っている方、又人々との関係を良いものにしたいと思う時に、参考になればと思い聖典等を参考にして書いています