復活とは何か
キリスト教の行事に大切なのは「復活祭」ですが、これについて説明してみたいと思います。
まず「復活祭」はイエス・キリストの復活を祝うお祭りですが、キリスト教徒でさえ、これについて正しく理解している人は少ないと思います。
イエス・キリストの誕生日と思っている人もいます。でも、キリストが死んだ後に復活された日ですから、キリストの生まれた日と考えるかも知れませんね。
イエス・キリストが文字通り復活された事は、聖書や他の聖典に記されています。その復活に関する記録を、イエス・キリストを信じる教会員は信じています。
そして、それだけではなく この地上に生を受けた全ての人もまた同様に、復活するという、聖典の数々の教えも信じています。どういう事かというと、普通の人には理解しにくいと思いますが、
人は、アダムにあって全ての人が死ぬ状態になりました。この事と同様にキリストにあって、全ての人が復活するのです。(ヨハネ11:25 )
復活は、わたしたちに使徒ペテロが語った「生ける望み」(1ペテロ1:3)を与えてくれます。
この「生ける望み」は、死がわたしたちの存在の終りではなく、天の御父がその子供達(人間)の救いのために、お立てになった憐れみの計画における、必要なステップに過ぎないという確信です。
その計画の中で、人は死すべき状態から不死不滅の状態に移行します。
つまり、人は死んで終りではないということです。死は一時的なもので、その霊はいつか再び肉体と一つになり、復活します。そしてこの復活した肉体は死ぬことはなく、痛みや肉体の苦しみから解放されて永遠に生きるのです。
その移行の中心となるのは、死という日没と、救い主イエスの復活によって、可能になった栄えある朝であり、わたし達はその復活を「復活祭」として祝うのです。
復活祭の正しい日はいつか?
旧約聖書で分るように、過ぎ越しの祭りの終りの「最後の晩餐」の後に、イエスは十字架につけられました。その日が当時の4月13日金曜日だったと思われます。
その日から三日目の朝、つまり日曜日の早朝に、イエスは復活されて墓から出てきました。現在はその日は毎年同じ日ではないので、春分の日の後の満月の日曜日とされています。だから、だいたい4月の始めの頃の日曜日を復活祭としております。
ところで、その前の「過ぎ越しの祭り」とは、どういうものか、これは旧約聖書の「出エジプト記」の12章21-28節、また13章14-15節を参照してください。昔「モーセの十戒」という映画がありました。そこに出て来ました。この内容については、旧約聖書の出エジプト記、を読んで頂ければ理解できます。
こうしてイエス・キリストは、亡くなり、葬られ、3日目に、再び蘇って天に昇られました。
キリストは、最初であり、最後であり、初めからわたしたちと共におられ、終りまでわたしたちと共におられます。
最後まで耐え忍ぶ者は救われる
人生に於いて、イエス・キリストは「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と約束されました。
耐え忍ぶとは、「誘惑や、反対や、逆境に負けることなく神の戒めに忠実であろうという決意を、固く守り続ける」という意味です。
自分が信じてきたことや、知っていることに忠実になりましょう。
正しいと分っている事に従って、生きて来なかったとしたら変わりましょう。罪に固執し、悔い改めない罪人は、汚れの中へ深く沈みこんでいき、その結果サタンが彼らを自分のものと主張するようになり、悔い改め、赦され、あらゆる永遠の祝福を受ける機会を、大きな危険にさらすことになります。
預言者はこのように教えています。「高慢にならないようにしなさい。自分の知恵や、優れた力を誇らないようにしなさい」
「大胆でありなさい、しかし尊大であってはならない。また激情をすべて制し、愛で満たされるようにしなさい。怠惰にならないようにしなさい」
わたし達は、すべての戒めに従うよう努力し、守るのが最も難しい戒めに細心の注意を払うべきです。
イエスはわたし達のそばにいて、必要なときや、弱っている時に助けてくださり、わたし達が心からの望みを示して、それに応じて行動するとき、主は「弱さを強さに変えて」くださいます。
神とまた天で会うために
イエスはわたし達の罪や、苦痛、落胆、苦悩、病気、恐怖のために苦しまれました。だからこそ、わたし達を助ける方法や鼓舞する方法、慰める方法、強める方法を御存じです。
それは、わたし達が耐え忍び、打ち負かされなかった者のために取っておかれているために、冠を得られるようにするためです。
人にはそれぞれ違った人生があります、誰にでも試練のときや、幸せな時、決断の時、障害を乗り越える時、チャンスを生かす時があります。
どのような状況にいたとしても、天の御父がいつもこのように言っておられます。
「わたしはあなたを愛し、支持し、あなたとともにいます。諦めないでください、悔い改め、わたしが示した道を耐え忍んで歩んでください。そうするならば、天の家でまた会うことができると約束します。」