真理は一面だけでは語れない
真理とは一言で言えば、本当の事、真の道理です。
しかし、一つの真理についても人の見方や考え方によって、その表現や思いが異なってきます。
例えば「盲人と象」の話をしてみたいと思います。よく知っている話だと思いますが、それは六人の盲人達が象とはどんな物か知りたいと思いました。
そこでその象というものを、見て見たいと思い皆で見学に行きました。
目の見えない六人は、手で確認しました。そして一人は象の足に触れて、
「象とは丸くて柱のようだった」と言いました。別の一人は牙に触れて、
「象とは剣のようなものだ」と説明しました。三番目の人は尻尾を掴んで、
「象とはロープの様なものだ」と言いました。四番目の人は鼻に触れて、
「象とはホースの様なものだ」と主張します。五番目の人は耳に触れて、
「象とは団扇の様なものだ」と言いました。六番目の人は胴に触れて、
「象とは壁の様なものだった」と主張します。
こうして六人の説明したことは、それぞれ間違ってはいませんでしたが、象という動物を言うなら間違っています。
けれど、その象の一つ一つについては、真実を表しています。そして一人一人のその意見は必要な事で、それの全部を綜合すると真実の全体がわかってきます。又、六人が別々に感じたその事は、その人にとって真実でした。
人々は真理をある真実の一部をとって語っている
この様に多くの人は、真理をある真実の一部をとって語っていると思います。そしてそのものの真理を分ったつもりでいるのです。
真理について、聖典には次のように書いてあります。
「真理とは、現在ある通りの、過去にあった通りの、また未来にある通りの物ごとについての知識である。」(教義と聖約93:24)
また、「真理とは永久にいつまでも変わらない」「善いものは何であろうと正しく真実である」ということですから、悪人は真理を理解しません。
罪のある者には、真理が胸の底まで刺し貫くので、真理を厳しいものと思うのです。
真理を曲げる事は出来ません、それを曲げようとすると事件や問題が起こります。
まとめ
つまり「真理とは」この世では、「正しい事、善いもの」は全て真実であり真理です。また宇宙全体においては、神が真理です。