教訓を学べるのが家庭です
(エンリケ・R・ファラベラの話し参照)
家庭は、この地上における天国の一部とすることの出来る場所なのです。
家庭で子供が間違いを犯したことの言い訳として「子育てを教える学校がないから・・」と言う親がいます。
実は、そのような学校は存在しています。しかも一番良い学校にも出来るのです。その学校は「家庭」と呼ばれています。
神は、人と接する時に指針とするべき特質を明確に述べておられます。
それは、説得、寛容、温厚、柔和、そして偽りのない愛です。
家庭内の身体的虐待という行為は、一部の社会ではあまり見受けられません。しかし、精神的虐待という行為については、まだまだ改善が必要です。
この種の虐待によって生じた傷は、記憶に長く残ります。そして私達の人格を損ない、心に憎しみの種をまき、自尊心を低下させ、心を恐れで満たすのです。
だから天国のような家庭生活を 送らなければならないのです。
愛してほしいのです
「愛しているよ」「どうもありがとう」「ごめんなさい」という言葉は、人にとって乳香のようなものです。
涙を喜びに変えます。打ちひしがれた人を慰め、また私達の心の愛情を裏付ける言葉です。
大事な水が不足すると植物がしおれてしまうように、愛の言葉と行いを伝えないでいると、私達の愛は弱まり、失われてしまいます。
愛と感謝のメールを携帯電話で送ることは、何とたやすい事ではないでしょうか、青少年はいつもそれをしています。
けれど ひとたび家庭を設けたら、こうしたいろいろな麗しい習慣は続くでしょうか、とぎれて 続かなくなってしまいがちです。
友人の話しですが、彼は妻から次のようなメールを受け取りました。
「天国のような抱擁、太陽のようなキス、月のような夕べ、良い一日を、愛しているわ」 この様なメールをもらったら、天国にいるような気持になるに違いありません。
天の御父(神)は愛を表現することについて、完全な模範を示されました。 御子(イエス)を紹介されたとき、次のような言葉を使われました。
『これは私の愛する子 わたしの心にかなう者である』
私は、イエス・キリストの福音を学んでいる教会員ですが、その聖典には正しい神の教えがたくさんあります。しかし聖文を知るだけでは不十分です。それに従って生活しなければ何もなりません。
抱きしめてもらいたいのです
子供を育てるとき、教育するとき、次のような事が必要です。
1、子供を教育する時、決して口論してはいけません。
1、子供がいつも歌を口ずさむ様な幸せを、感じさせてください。
1、子供が望んでいることは、いつも抱きしめて貰いたいのです。
このような事を学べるのは、家庭だけなのです。
私は 初めて子供を授かったとき、その子がとても愛おしく、大切に思い、心から愛しました。
しかし私のやってたことは、子供に恐怖心を抱かせる事が多かったようです。子供を教育するとき、いつも大きな声で口論していました。
子供はそのためいつも私を恐れて、歌を口ずさむような気持ちはなかった様です。
また、私は子供がかわいかったので、抱きしめる事はありましたが、それは毎日ではありませんでした。
今、大人になってしまった子供は、その頃の心の傷が記憶に残り、良いときの事は忘れてしまい、いやな事ばかり残っているから、今も私に対する反発心があるのです。この傷は一生残るのだと思うと私には、一生の後悔と反省がのこります。
慰め
この世で、人が及ぼすことのできる最大の影響力の一つが、子供への感化力です。
子供の信念や自尊心は、幼い時期に形作られます。人生のあらゆる感情や、経験のうちで、もっとも心に残っているのは『慰め』です。
間違うことがあっても、「一緒にがんばろうね!」と言ってくれること、 何かをこぼしたり、破いたり、汚しても、「一緒に直してきれいにしましょうね」と言ってもらえる事。
試してみたり、自分の力以上のことに挑戦したり、夢を描いたり、ささいなことから、子供ならではの、わくわくするような楽しみを、見いだすことが出来るようにすることです。
子供達への話し方や、用いる言葉によって、わたしたちは彼らを励まし、元気づけることが出来ます。
それは、大声で叱責したり、侮辱したりする声ではなく、静かでありながらも希望を与え、同時に確固とした導きを与えてくれる、穏やかな声です。それによって彼らは耳を傾ける備えをします。
子供の心に届く様に話すには、子供の必要を知らなければなりません。それを知る為には 静かに優しく会話をしながら知ることです。