ひとりではできない
(ロバート・D・ヘイルズの話参照)
この世に生れてきたのは、ひとりで生きるためではないのです。わたしたちは、自分の行動を自分や他人から隠すことはできません。
『いちばん大事なことは、おのれに誠実なれということ。されば必ず夜が昼につぐごとくに、他人に対しても誠実ならざるを得ん』(シェイクスピア「ハムレット」)
この言葉は真実です。しかし自分や隣人に誠実であるには、どうしたらよいか、 人を気遣い、人に気遣ってもらうその調和と釣り合いが、人生そのものの本質であります。
私達には、自己欺瞞を避けるために 他人からの励ましの援助が必要です。
私達は、この世にくる前に天父(神様)と共に住んでいました。聖典にそう言われています。
私達は肉体を受け、この地球に住み、神の戒めをまもり、すべてに反対のものがあることを、経験する道をそこで選んだのです。正反対のものがあることで、私達は強くなれます。
私達は誰の助けもなしに、ひとりで神のみ前に帰ることは出来ない、ということも、神の計画でした。
『福音の計画』では、与えることと、受けることが要求される。
信仰だけでは不充分であり、私達には奉仕し、奉仕される「行い」が必要です。これは一人では出来ないのです。
私達の人生に課せられた数々の使命は、人の助けなしでは立派に果たす事ができません。
みな、人の助けは必要である
人の誕生には、地上の両親が必要でした。そして、育児、教育、結婚、自分の子供を持つ、病気、など みな人の助けが必要です。
そして それらはまた、すべて人との助け合いを必要とする愛と奉仕の行為であるのです。
私達がこの世の人生を終り、天父の元に帰るとき、天父は私達がひとりで戻るのを、望んではおられません。
自分の家族や、人生の道を助け合って一緒に歩んできた人々と、誇らかに帰っていくことを望んでおられるのです。
この世での経験とは
私達の体は、不完全で精神も理性も不完全なこと、すなわち、私達は自立しなければならないが、それが 人生の援助がまったくいらない、という意味ではないのです。
まさに神は、私達をこの地球という星に置いて、身のまわりにある事が経験できるのである。
孤独な人、寂しい人は自分だけの考えや、自分の殻に閉じこもってはならない、閉じこもってしまえば、結局は暗闇へ導く敵の影響を、受けて、失望、孤独、挫折に陥り、自分が価値がないと考えてしまうのです。
人生はひとりでは生きられない
人生をひとりで経験しょうとする人は、自分に忠実でもなければ、人生における大切な使命にも 忠実ではありません。
人はよく困難に出会うと、「一人でがんばります」「ほっておいてください」「助けはいりません」「自分のことは自分で出来ます」と言う。
しかし、人の助けが要らないほど、人生経験に富んだ人はいないのです。
また、隣人に役立つ事が何もないほど、経験の乏しい人もいないのです。
信頼して人の助けを仰ぐ気持ち、親切にそれに応じる気持ちが、私達の心の底に いつもなければなりません。
世捨て人は、この上ない利己主義の容認者である。この世で人々に役立つようにと、与えられた 腸や才能をまるで無にしているのです。
彼は悪魔の狡猾な道を歩んでいるのである。孤独や隠遁は、人生のゲームの盤の上から退くこまのように、私達を引き下ろしていく。
私達は目的を持ってこの世に来たこと、そして私達が受ける最大の喜びは、私達が人々のためにする 愛、と奉仕の行いである事を私達は知っておかなければなりません。
他人の助けを全く必要としないほど立派な人はそんざいしないし、何でも「ひとりでできる」ような偉い人は存在しないのです。
真っ正直な愛にあふれた生活をして、周囲のすべての人たちに関心を示し、己を捧げて奉仕したならば、自分には他人の援助が必要で、他人も自分の援助を待っている。ということが十分に理解できるでしょう。