人生の目的を知り人間関係を学ぶ

人生の目的を知り、その目的に至るまでの生活や人々との関わり方について、学ぶ事が出来る。

人との関わり

感謝はなぜ必要で大切か、感謝は神からの賜物です

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感謝の心は神様が与えて下さる祝福や、周りの人達からもたらされる事で得られる。

(トーマス・S・モンソンの話し参照)

新約聖書の「ルカによる福音書第17章」には、救い主についてこう記されています。

「イエスはエルサレムへ行かれる時、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。そしてある村に入られると、重い皮膚病にかかった10人の人に出会われた。彼らは遠くの方で立ち止り、声を張り上げて『イエス様わたし達を憐れんで下さい』と言った。イエスは彼らをご覧になって、『祭司達の所に行って体を見せなさい』と言われた。そして彼らはそこへ行く途中で清められた。

そのうちの一人は、自分が癒された事を知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足元にひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。

イエスは彼に向って言われた『清められたのは10人ではなかったか、ほかの9人はどこにいるのか、神をほめたたえるために帰って来た者はこの他国人の他にはいないのか』 それからその人に言われた『立って行きなさい、あなたの信仰があなたを救ったのだ』」

神の介在により、この重い皮膚病にかかった人達は半死半生の残酷な状態から、救われ新しい命を与えられました。主は感謝した一人を祝福されましたが、感謝しなかった9人には失望されました。

 

私達は、受けた祝福に感謝する事を覚えているでしょうか、心からの感謝は祝福に気づかせてくれるだけでなく、天の扉を開けて神の愛を感じられる様に、助けてくれるのです。

預言者のゴードン・B・ヒンクレーが言いました「感謝しながら生活すれば、うぬぼれや虚栄心や利己心ではなく、自分にふさわしい感謝の精神で生活し、日々祝福を受けることができるでしょう。」

聖書の「マタイによる福音書にも、感謝についての話しが記されています。ここでは、救い主が感謝の気持ちを表しています。

「主が3日間荒野をお歩きになったとき、4000人以上が主に従い共に歩いていました。主は3日間何も食べていないであろう彼らのことを哀れに思われました。しかし主の弟子達は、こう言っていぶかりました。

弟子達は言った『荒野の中でこんなに大勢の群衆に食べさせるほどたくさんのパンを、どこで手にいれましょうか』

私達と同じ様に、主の弟子達も欠けているものにしか、目がいっていませんでした。

イエスは弟子達に、『パンはいくつあるか』と尋ねられると弟子達は「7つあります。また、魚が少しあります。」と答えた。

そこでイエスは、群衆に 地にすわるように命じ、7つのパンと魚を取り、感謝してこれをさき、弟子達に渡され、弟子達はこれを群衆に分け与えた。」

 

救い主はそこにあった分について、感謝されたのです。すると奇跡が起こりました。一同の者は食べて満腹した、そして残ったパンくずを集めると、七つの籠にいっぱいになった。

感謝は天の原則です

だれでも祝福ではなく、欠けているものの方にだけ、注目してしまいがちです。ギリシャの哲学者エピクテトスは、言いました。「知恵のある人は持っていないものを嘆かず、持っている物を喜ぶ。」

預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示を通して、主は宣言されました。

『あなたはすべてのことについて、主なるあなたの神に感謝しなければならない。』

聖典の中で、わたしたちは「神が授けてくださる多くの憐れみと、祝福を日々感謝しながら生活するように」と言われています。

 

今 地球はすばらしい時を迎えています。今日の世界には、間違ったことが多くありますが、正しく善いこともたくさんあります。

幸せな結婚生活をおくり、子供を愛し、子供のために犠牲を払っている親がいます。気遣い、助けてくれる友がいます。教えてくれる教師がいます。人生を祝福してくれるものは無数にあるのです。

いつまでも悲観的に考えるのをやめ、心の中に感謝の気持ちを育てるなら、自分自身を奮い立たせ、人を勇気づけることができます。

感謝を忘れることが重い罪の一つに数えられるとすれば、感謝する事は最も気高い徳の一つです。 ある人はこう言いました「感謝は最も偉大な徳であるばかりか、そのほかすべての徳の生みの親でもある。」

感謝の気持ちを育てるには

心の中に感謝の気持ちを育てるにはどうすれば良いでしょうか、

預言者、ジョセフ・F・スミスはこう答えています。

「感謝する人は、世界には感謝すべきことが数多くあることを知っています。その目には善いことの方が、悪いことよりも多く写っています。愛がねたみに打ち勝ち、光がその人の生活から闇を追い払うのです。」

「高慢な心は感謝する心を破壊し、代わりに利己心を植え付けます。人は感謝と愛に満ちた人のそばに居る方が、ずっと幸せです。生活の中で、よく祈ることを通して、神と人に対する感謝の気持ちを育てることです。」

 

人は物質的なものがあれば喜び、感謝するでしょうか、一時的にはそうでしょう。でも深くて永続する喜びと感謝をもたらすものは、お金で買えません。例えば、家族、福音、友人、健康、能力、人から受ける愛は買うことは出来ません。そして残念なことにわたしたちは、これらの人やものを、あって当たり前だと思ってしまう時があります。

「あって当たり前だと思うことにかけては、たいていの人は殆ど無限の能力があります。」

最も感謝すべき人を疎かにすることがよくあります。手遅れになる前に、感謝を表そうではありませんか。

愛する人を亡くした後に多くの人は、後悔の念をこう述べます。「幸せだった日々を思い出しながら度々思うのは、もっと言うべきだったのに ほとんど言えなかった。感謝の言葉を」と、言うことです。

愛する人を失うと、必ずといっていいほど後悔の念が生じます。ならば、頻繁に愛と感謝を伝えることによって、そのような後悔の念を最小限に、とどめるよう最善を尽くすべきです。いつ、手遅れになるかは、誰も分らないのです。

 

感謝の心は、神様が下さる祝福や、周りの人がもたらしてくれる全てのことに、感謝の気持ちを表すことで得られます。

これには意識的な努力が欠かせません。少なくとも感謝の心を知り、育む迄は、努力を続ける必要があります。

有難いと思い、その気持ちを伝えるつもりであっても、忘れたり時間を取らなかったりすることがよくあります。

「感謝しているのに伝えないのは、プレゼントを包んでいるのに渡さないようなものだ」と言った人がいます。

日々の生活で試練や問題に直面すると、祝福に目を向けるのはたいてい難しくなります。それでも熱心に探し、懸命に見いだそうとするならば、どれほど多く与えられているかに気づき、実感することができるのです。

 

それぞれの生活の中で、わたしたちが感謝という驚くべき徳を、表すことが出来るよう心から誠実に祈ります。

感謝が、今も永遠にも私達の心にしみとおりますように!

 







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新潟県出身  高校卒業まで新潟で過ごす。

「末日聖徒イエス・キリスト教会」会員。

教育者の家庭に生まれ育ち、7歳で母親を亡くし、後信仰深い祖母に育てられたが、10歳の時父が再婚し、その義母に姉妹差別で育てられた事に悩んだ。 大学を卒業した後、様々な人々と関わり 「人生とは何か」に、疑問を持っていたある日「末日聖徒イエス・キリスト教会」の宣教師に出会い、「救いの計画」について聞く事ができた。

そして人生の目的や人々との関わり等について、また人と神の関係について学んだ。

私と同じ疑問を持っている方、又人々との関係を良いものにしたいと思う時に、参考になればと思い聖典等を参考にして書いています