ウェイン・s・ピーターソンの話し参照
一つの経験から学んだ教訓
数年前家族と共に休暇を過ごしていた時、一つの経験から大切な教訓を学びました。
ある土曜日に妻と私は、子供達をドライブに連れて行き、その後少し買い物をする事にしました。
ドライブをしている間に子供達が眠ってしまい、起こしたくなかったので私が車に残って、妻が急いで店に行くことになりました。
待ってる間に、私は前に止まっている車を見ました。その車には子供が何人か乗っていて、皆私を見ていました。そして私の目と、6,7歳の小さな男の子の目が合いました。
目が合った時、彼はすかさず私に向かって舌を出しました。しかし「私がそれに対して、しようとしている事は適切だろうか」と考えました。
私はその様に反応する前に、ある指導者から教わったある原則を思い出しました。
周囲の出来ごとに対する反応を変えることが、どれほど大切かを彼は教えたくれたのです。そこで私は、その小さな男の子に手をふりました。彼はまた舌をだしました。
私はにっこり笑って、また手をふりました。
今度は彼も手をふりました。 間もなく、しきりに手を振るその子に、弟と妹が加わりました。
それに応じて私は、腕が疲れるまで様々な方法で手を振りました。その後ハンドルに手を置いて休み、その子達の両親か私の妻が、早く戻って来ることを期待しながら、再び思いつく限りあらゆる独創的な方法で、手を振りつづけました。
やっと両親が戻ってきました。そして彼らが立ち去る時、私の出会った新しい友達たちは、姿が見えなくなるまで手をふりつづけました。
それはちょっとした経験でしたが、次のことを示していました。
すなわち、ほとんどの出会いでは、自分がどの様に反応するかで、どんな経験をするかを決めることが出来る。ということです。
私はこの幼い友人の子供らしい振る舞いに、親しみを込めた方法で、応じるという選択ができたことに感謝しました。
そうすることで、私は自分の本能に従っていたら抱いたはずの、否定的な感情を回避できたのです。
黄金律を身につける
救い主 イエスはこう述べています。
『だから何事でも人からして欲しいと望む事は、人々にもその通りにしなさい。』(これを黄金律という)
すべての人々が、この「黄金律」を実践した時、世界に及ぼされる影響を想像してみてください。しかし、そうすることは人の性質に反しているように思えます。
変化の速い今日の世界では、人々が互いに侵略行動を取る傾向が増しているように思えます。
ある人々は、実際のあるいは想像上の屈辱行為に簡単に腹を立て、怒りを示します。
私達は皆、運転中の怒りや、そのほか粗野で無神経な行為を、自ら経験したり、そのような話しを聞いたことがあるでしょう。
不幸なことに、自分の家庭でこの様な行動を取って、家族に摩擦と緊張を招いている人々がいます。
ある状況においては、自分にされた行為に仕返しをするのは、当然なことに思われるかも知れません。しかし、そうしてはなりません。
とる態度が人格を形成します
私達が固める決意と、執る態度が最終的に人格を形成します。
チャールズ・A・ホールは、適切にも、そのプロセスを次の言葉で述べています。
『思いを蒔いて行いを刈り取る。行いを蒔いて習慣を刈り取る。習慣を蒔いて人格を刈り取る。人格を蒔いて行く末を刈り取る。』
家庭での行為は非常に重要です。家庭は善くも悪くも人々の行動が最も影響を及ぼす場所です。時折私達は家庭ですっかりくつろいで、言葉に注意を払わないことがあります。礼儀を容易に忘れてしまっています。「親しき仲にも礼儀ありと言われます」
気をつけなければ、互いに非難し合ったり、平静を失ったり、自分本位の行動を取ったり、という習慣に陥ってしまいます。
伴侶や子供達は私達を愛しているので、すぐに許してくれるかも知れませんが、沈黙のうちに目に見えない傷と、言葉に表せない心痛を残すことがしばしばあります。
子供が両親を怖がったり、妻が夫を恐れたりする家庭があまりにも多くあります。父親は愛と義をもって、自分の家族を管理しなければなりません。
伴侶や子供を虐待する人々は、いつの日か神の御前に立って報告する事になります。
家庭の中に怒りや、争いがあるのを感じた時、何の力が生活を支配しているのか、またサタンは何をしようと努めているのか、早く気づかなければなりません。
ソロモンは次のような金言を述べています。
『柔らかい答えは憤りをとどめ、激しい言葉は怒りをひきおこす』
家庭は、理想的には一人ひとりが安全、安らぎ、愛、またしばしば世の中で出遭う厳しい批判と、争いからの守りを感じる避け所でなければなりません。