(ジェームズ・E・ファーストの話し参照)
この世界では、多くの選択が求められます。
多くの選択の中には、非常に重要な選択もあれば、そうでないものもあります。
選択の多くは、善と悪を選ぶことです。
幸せになるか、不幸になるかは、何を選ぶかに大きく左右されます。
常に完全な選択をするのは不可能なことです。
しかし、満足のいく良い選択をして、成長することは可能です。
神の子供達が導きを受けるにふさわしく生活するなら
「とこしえに自由となり、善悪を知る」ようになり、
「思いなままの行動することができ、強いられることは」なくなります。
愚かな選択
人は時に周囲の圧力に負け、愚かな選択をすることがあります。
私の知人の「K」は、少年時代にその様な経験をしました。
友人とソルトレーク・シテ―の北東にある、イーストキャ二オンで 切り立った崖から人造湖に飛び込んで遊んでいた時のことです、一人がダムの最も高い所に登り、15メートルの高さから飛び込むと、10代の少年達の対抗意識が掻き立てられられました。
全員がダムの上に登り、同じ所から飛び込んだのです。物足りないと思った一人が言いました。「よーし、次はもっと高いところだ」彼は崖を18メートル登りました。負けず嫌いの Kも一緒に這い上がりました。
先に飛び込んだ少年が大丈夫そうだったので、Kも思いきって飛び込みました。高さを競い続けたのは、この二人だけでした。
友人は21メートルまで登り、飛び込みました。彼は笑顔で肩と目をこすりながら浮かんできました。そして次の様に言ったのです「おまえもやるか?」
「もちろんだよ」すると 水辺にいた少年達もいいました。「Kならやるよ決まっている」それで Kは泳いで岸に戻り岩を這い上がりました。
同じ所から飛び込んだら、相手がさらに高い所に挑戦するだろうと思い、Kは24メートルある崖の頂上まで登りました。誰もそれより上に行けません。
見下ろすと水面がはるかに下に見え、Kは恐ろしくなりました。向こう見ずな決断でした。望んだわけでも、正しいと感じたわけでもありません。今では名前すら思い出せないような、一握りの少年達にせき立てられて決断してしまったのです。
Kは後ろにさがり、崖の縁をめがけて全力で走りました。前もって注意深く岩に付けておいた印を見て、そこから宙に身を躍らせませました。
落下中に、「決定は慎重に、誤った決定で死ぬことだって有るんだから」と、言っていた両親の言葉を思い出しました。そして思いました。
「決定を誤った、こんなスピードで突っ込めば、水はコンクリート同然だ」実際コンクリートの様に感じました。
やっとの思いで、水面に頭をだした Kは、ホット胸をなでおろしました。
命にかかわる決定は自分であること
彼はなぜ飛び込んだのでしょう、何を示したかったのでしょう?
Kをせき立てた少年達は、この馬鹿げた行為を気にも留めず、思い出しもしないでしょう。 Kは後に、命を落としかねない決断をした事に気づきました。
友人の圧力に負け、したくもない事をしたのです。 愚かでした。彼はこう言いました。
「この世に生き、この世の者となっていた私は、自分をコントロール出来なかったのです。命にかかわる決定を自分で下していませんでした。大切な決定をこの世に任せてしまい、危うく帰らぬ人となるところでした。」
衝撃を抑え、決断を人任せにするような愚行をさけるには、ある種の勇気が必要です。
残念ながら取り返しのつかない選択もありますが、多くは修正できます。軌道修正し、正しい道に戻ることができます。
経験から学ぶのも有益ですが、試行錯誤から学ぶ方法は失敗も多いものです。
両親や気にかけてくれる人々、教師たちから学べば早く容易に進歩できます。
人の失敗から学ぶ事もできます。誤った選択の結果を観察するのです。どちらの道を選んでも、良い機会に恵まれる場合もあります。
例えば、職業の選択や学校を決める場合がそうです。
知人の中に聡明で有能な若者がいます。医者を志望していましたが、機会に恵まれず、法律の道に進むことにしました。そして彼は弁護士として大きな成功を収めていますが、医者になったとしても成功していたことでしょう。
大切な選択の中には、時間制限のあるものもあります。決定が遅れると永遠に機会を逸します。時として不安がある為に何かを変えるという、選択ができないことがあります。そして機会を逃してしまうのです。
ことわざにあるように、「選択すべきときに選択しないこと、それも一つの選択なのです。」
大切な選択の決定は一度だけ
ある選択は ほかの選択より重大な結果をもたらします。
この世の中では、結婚相手を選ぶことほど重大な選択はありません。この選択から永遠の幸福と、喜びが得られます。
結婚生活から最高の満足を得る為には、夫婦が互いに自らを完全にささげる必要があります。
満足と幸福につながる大切な決意は、一度だけにすべきで、一度決意したら後戻りしてはなりません。
不思議なことに間違った行いが、正当に見えることがよくあります。それが最も楽だからでしょう。
間違った行いには「だれでもやっているよ」という言い訳が付きものです。真理をゆがめるこの言葉はサタンの言葉です。「悪魔はこの様に人々をだまし、巧みに地獄に誘い落とす」のです。
他人の行いが物ごとの良しあしを、決定するのではありません。
一人の人が、勇気をだして正しい選択をすれば、多くの人に賢明な選択をする勇気を与えます。
「あなたは、自分の選びに対して責任を取らなければなりません。神の戒めに背く選択をしても、それを自分の環境、家族、友達のせいにすることはできません。あなたは神の子供であり、大きな力を与えられています。どの様な環境の下に置かれていても、正義と幸福を選ぶ力があなたにはあります。」
選択は慎重に、そして責任を持つことです。