デビット・A・ベトナーの話し参照
幸福を追い求めて
幸福な生活に必要なものについて考える時、それはどんな事か幾つかの考えを紹介します。
「良い思いのないところに平安はなく、平安のないところに幸福はない」(マハトマ・ガンディー)
「幸せが感謝をもたらすのではなく、感謝が私達を幸せにしてくれるのです」(デヴィット・スタンドルラスト)カトリックのベネデイクト会の僧侶
「人が存在するのは、喜びを得るためです」(モルモン書第2ニーファイ2-25)
「人の幸福を願うなら思いやりを実践しなさい、そして自分が幸福になりたいなら思いやりを実践するのです」(ダライ・ラマ)
誰にとっても喜びや幸せの感情とは、たとえ義にかなった生活を選んだとしても、何か複雑な問題がからみあって生まれることがあるものです。
「良い事をしているのに幸せを感じる為に、これほど苦労するのは何故なのだろう」と私は時々疑問に思います。
失業や、愛する人の死、心身の不調など、幸せや満ち足りた気持ちを覆すことになりかねない要素は、たくさんあります。それでも私は、どんなに深い苦労の谷を思い足取りで歩いていようとも、さらに素晴らしい日々が来ると信じたいと思います。
そこで私は、幸せを追い求めるという目標について、科学的な研究成果をもとに、福音的な観点から述べてみます。
幸福とは何か
そもそも幸せとは何でしょうか。
ランチボックスに大好きなデザートを、誰かがこっそり入れておいてくれた時に感じる気持ちでしょうか、昇給でしょうか、永遠の伴侶との結婚でしょうか、これらすべてでしょうか?
世の中の考え方によると、永続する幸せとは以下のものによって得られる事です。
●、経済的な繁栄の達成、特に周囲の人達より もっと豊かになること。
●、有名になること。
●、気楽で余暇と刺激のある生活、ができること。
●、方々を旅して世界の驚異の多くを直接体験すること。
●、職場や、地域社会、その他の場所で、力や権力のある地位に就くこと。
●、体を鍛えて特定の体型になること。 等でしょう
では、これら種々 様々な方法に共通するものは何でしょうか、
一つは、全てが周囲の状況に結びついているということです。
しかし、「わたし達が感じる幸せは、生活の状況ではなく、生活の中で何に目を向けるか、にかかっているのです。
では、その喜びを見出す為に何に目を向けるべきでしょうか?
喜びとは、もし得られれば、素晴らしいというだけの感情ではありません。
末日聖徒イエス・キリスト教会のネルソン大管長は、喜びとは「霊的に生き抜く上で、鍵となる原則」だと言っています。その意味は、肉体的にこの世の事だけでなく、霊魂にかんして又精神に関することです。ですから、明らかに喜びと幸せは苦労して得る価値があるのです。
それに、たいていの人はその為に進んで努力します。では、何故、義人を含むこれほど多くの人が、苦労をし続けるのでしょうか、それは、一つには、苦労そのもが、そもそも私達がこの世にいる理由の最たるものだからです。
成長するための人生
わたしたちは、時々「幸せとは問題や苦労のない生活」だと考えます。しかしながら、苦労のない人生では、この世に来た目的である成長を遂げる事ができません。人は、成長する為にこの世に生れてきたのです。
成長するためには、人生には苦労が必要であり、義にかなった生活をしても苦難を免れないことは、明らかです。その証に、イエス・キリストの生涯を調べて見てください。イエス・キリストは、完全な義にかなった人です。そうです義にかなった生活をしたからといって、あらゆる災いや試練から免れる訳ではありません。免れる人はいないのです。
でも、神の助けと癒しを期待することもできます。「義にかなった人々のために、私達の心の癒し主は、主の時に、主の方法で皆さんの傷をすべて癒してくださるでしょう」傷を負っていると感じる人々にとって、癒しは手の届く所にあります。それについては、確信をもってください。
神が私達を助けるために、備えてくださった4つの賜物があります。
第一に、主は私達に、無限の愛する能力を与えてくださいました。それには好感の持てない人や、自分を迫害したり、悪意をもって利用したりする人をも愛する、能力も含まれます。
第二に、赦す力です。自分を傷つけた人や、自分に対して行った残虐な行為の責任を、決して取ろうとしない人を赦す事ができます。
第三に、悔い改めです。主は私達に心や知識、霊、息さえも変えるように勧めておられます。そしてその息を使って、神と人々の為に奉仕をしたいと望みます。これは毎日活用するべき賜物です。
第四に、これは賜物というより神の約束です。「永遠の命」の約束です。永遠の命とは、全ての人が、天の御父とその御子イエス・キリストが生きておられる様に、永遠に生きることです。 これについて御父は、この様に言っておられます 『あなたが私の息子(イエス・キリスト)に従う事を選ぶなら、そして息子にさらに似た者になる事を望むなら、やがて私達のように世界と王国を管理するであろう』
これら四つの比類のない賜物は、受け入れるならば益々喜びをもたらすものです。