人生の目的を知り人間関係を学ぶ

人生の目的を知り、その目的に至るまでの生活や人々との関わり方について、学ぶ事が出来る。

神様の存在

人はこの世でどの様に生きたか、その生き方によって裁かれる

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ダリン・H・オークスの話参照

最後の裁きとは

イエスの使徒パウロは、主の教えが与えられているのは、私たちが皆キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである、と教えました。

世の教育機関は、私たちにある事柄について知りなさい。と教えます

それとは対照的に、イエス・キリストの福音は私たちに、ある特質を身に着けた者になりなさい。とチャレンジするのです。

聖書や近代の聖典は、多くの箇所で、最後の裁きについて述べており、その時人は、それぞれの行いや働き、あるいは心の望みに応じて報いを受ける。と説明しております。

しかし、ほかの聖文では この概念をさらに説明して、私たちの到達した状態によって、裁きを受けることを、指摘しています。

預言者ニーファイは(預言者とは神の言葉を預かり代弁して民に伝える人)私たちがどのような者になっているか、によって最後の裁きを受ける。と説明しています。そして、もし彼らの行いが汚れているならば、決して神の王国に住むことはできないのです。

また、預言者モロナイはこう宣言しております。「汚れている者は汚れているままになり、義にかなった者は義にかなった状態にとどまり、また、利己心や、不従順、あるいは神の要求に添わない、あらゆる属性についても同じことが言えます。」

預言者アルマは、最後の裁きにおける悪人の「状態」について説明しています。

最後の裁きとは、善悪の行為から つまり私たちが何を行ったかを集計して、評価するだけにとどまるのではなく、行いと思いがもたらす最終的な結果、私たちがどのような人物になったか、を確認することであると結論することができます。

イエス・キリストの福音

イエス・キリストの福音は、天父(神)が私たちに望んでおられる状態に、到達する方法を示す設計図です。

イエス・キリストの福音は、神の子供として成るべき者に私たちが成るために備えられた計画です。

この解釈を説明するために、一つのたとえを紹介します。

 

ある金持ちの父親が、自分の子供は求められるだけの知恵がなく、才覚もないために、このままでは遺産を受け取っても、すべてを失ってしまうだろうと考えていました。そこで父親は子供に言いました。

「私はおまえに富みだけでなく、地位と名声をも譲りたいと考えている。

持っている物をおまえに与えるのは簡単だが、わたしの今ある状態は、おまえが自分で手に入れなくてはならないものだ。

私が学んだように学び、私が生活したように生活することによって、相続する資格を得るのだ。私が知恵と地位を手に入れた法則を教えよう。

わたしの模範に従って、私が身に着けたように身に着けるのだ。そうすればお前は、私のようになり、私のものはすべてお前のものになるだろう。」

 

このたとえは、天の方法とよく似ています。

イエス・キリストの福音は、永遠の命と御父の完全という、比類ない受け継ぎを約束し、それを手に入れるための立法と原則を明らかにしています。

表面的な行動だけでは不十分です。

改心という言葉は多くの意味を持っています。ここでは単に確信することではなく、性質を根本から変えることを意味します。

イエスは、この意味を用いて証(あかし)と改心の違いを、使徒の長、ペテロに教えられました。

ペテロは証をもっていました。

イエスがキリストであり(キリストとは人類の罪を贖うために神が遣わした人)約束されたメシヤ(救世主)であられることを知っていたペテロは、それを宣言しました。

証をするとは、知ること、そして宣言することです。

イエスの教え

後にイエスは弟子たちに改心について教えられました。それは証をはるかに上回る重要なものです。真理の証を持っている者にとっても、改心することが大切であると、確認しておられます。

弟子たちは「天国で一番偉いのはだれか、とイエスに尋ねたとき、イエスは幼子を呼び寄せ、弟子達の真ん中に立たせて言われた。

「よく聞きなさい、心を入れ替えて幼子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう、この幼子のように自分を低くする者が天国で一番偉いのである」(マタイ18:2-4)

改心するとは、行うことであり成ることなのです。

福音が求めている改心は、聖文の表現によれば「再び生まれる」という経験から始まります。

イエスは、ニーファイ人を教えておられた時に、彼らがどのような者とならなければならないか、について述べておられます。

「従ってあなた方はどのような人物であるべきか、真にあなたがたに言う、わたしのようでなければならない。」

現世は人が神にお会いする用意をする時期

今こそ個人の改心と天父(神)が望んでおられるような人になることを、目指して努力する時です。そうする時に、家族と交わる時にこそ大きな進歩を遂げる事が出来る、ということを忘れてはなりません。

改心を成し遂げるためには、善い夫、善い父親、善い妻、善い母親、にならなければなりません。

改心することと、神の望まれる者となることの重要性を知ることによって、男性や女性がどのような状態にあり、どのような状態になることを目指して努力しているか、に焦点を当ててくださるよう願います。

安らぎと静けさの中で生活するよりも、苦しみと逆境に囲まれて生活する方が、真の改心を早く成し遂げることが多いのです。

私たちの殆どは「苦しみの炉」と呼ばれている状態を、ある程度は経験してきます。たとえば、障害を持つ家族の世話をするために、全生活をささげている人もいます。

愛する人の死を経験する人、結婚や出産という義にかなった目標を失ったり、遅らせなければならない人もいます。

人格が損なわれてしまった人、拒絶されている、ふさわしくない、あるいは憂鬱だと感じている人もいます。

愛にあふれた天の御父の正義と、憐れみにより、わたしたちは、その様な経験を通して精錬され、浄化されることができます。そして神が望んでおられるような者になることができるのです。

そして、最後の裁きで神の国に入ることができます。

 

 







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新潟県出身  高校卒業まで新潟で過ごす。

「末日聖徒イエス・キリスト教会」会員。

教育者の家庭に生まれ育ち、7歳で母親を亡くし、後信仰深い祖母に育てられたが、10歳の時父が再婚し、その義母に姉妹差別で育てられた事に悩んだ。 大学を卒業した後、様々な人々と関わり 「人生とは何か」に、疑問を持っていたある日「末日聖徒イエス・キリスト教会」の宣教師に出会い、「救いの計画」について聞く事ができた。

そして人生の目的や人々との関わり等について、また人と神の関係について学んだ。

私と同じ疑問を持っている方、又人々との関係を良いものにしたいと思う時に、参考になればと思い聖典等を参考にして書いています