ディター・F・ウークトドルフの話から
来て一員となる
わたしは、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。
わたしたちは、世界中のすべての神の子供たちに、この偉大な神の御業に加わるよう、お勧めします。
毎週、世界中の末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、宇宙の神であり王である、愛する天の御父とその愛子イエス・キリストを礼拝しています。
わたしたちは、この世に生きた唯一の、罪のない存在であり汚れのない神の御子イエス・キリストの、生涯と教えに思いをはせ、イエス・キリストの犠牲の記念に聖餐を受け、イエス・キリストが私たちの人生の中心であることを確認します。
わたしたちは、主イエス・キリストを愛し、主を敬います。
イエス・キリストは、その深い永遠の愛のために、世の人々のために苦しみ,亡くなられました。
主は死の門をこじ開け、友人や愛する人たちを隔てる障壁を、打ち砕かれました。そして、希望を失った人々に希望をもたらし、病人を癒し、囚人を開放してくださったのです。
わたしたちは、主に心をささげ、人生をささげ、日々の献身をささげます。だからこそ、「どこに罪の赦しを求めればよいか」を私たちの子供に知らせるために、キリストのことを話し、キリストのことを喜び、キリストのことを説教し、キリストのことを予言するのです。
けれども、イエス・キリストの弟子であることは、キリストについて話したり、説教したりするだけではありません。
私たちが、より主のようになるための道を歩むのを、助けるために救い主ご自身が自らの教会を回復されたのです。
教会に参加することによって、わたしたちは聖霊の促しに気づいて、それに従って行動をすることを学びます。また、思いやりと優しさをもって人に手を差し伸べる性質を身につけます。
イエス・キリストの教会と、教会が提供する様々な機会に積極的に参加することにより、よりよく備えることが出来ます。
教会員としてわたしたちは、古代の預言者と現代の預言者から、与えられる神の言葉を熱心に学ぶよう勧められています。
天の御父への、誠実で謙虚な祈りを通して、私たちは、聖霊の声を認識できるようになります。また、奉仕をし、教え、計画し、ミニスタリングを行い、管理する召しを受け入れます。
これらの機会を通して、霊的に、精神的に、人格的に成長することができます。
また現世と来世で、祝福をもたらす神聖な聖約を交わし、それを守るよう備えるのに役立ちます。
ともに集いましょう
わたしたちは、世界中のすべての神の子供たちに、この偉大な御業に加わるようお勧めします。来て見てください。
新型コロナウイルスによる困難な時期にも、オンラインでともに集まってください。オンラインで宣教師たちと会ってください。
この教会がどのような教会かを、自分の目で確かめてください。
この困難な時期が過ぎ去ったら、私たちの家庭や集会所で会いましょう。
来て一員となる皆さんは、私たちを強めます。そして皆さん自身もより良く、より優しく、より幸せになるでしょう。
それでは、どう始めればよいのでしょうか。いろいろな方法が考えられます。
まず、「モルモン書」を読むようお勧めします。モルモン書が無ければ、『末日聖徒イエス・キリスト教会』と 検索して、そこで読むこともできます。
モルモン書アプリをダウンロードすることもできます。モルモン書は、イエス・キリストについての、もう一つの証であり、旧約および新約の聖書と対をなすものです。私たちはこれらの聖典をすべて愛し、そこから学んでいます。
オンラインで、あるいは可能な地域では、自宅のプライバシーの中で、訪問するように宣教師たちを招待してください。彼らは希望と癒しのメッセージを携えています。
宣教師は、自分の時間とお金を使って、世界中の様々な場所で、奉仕している私たちの、大切な息子や娘です。
イエス・キリストの教会には、こんな人達がいます。それは、あなたの助けを必要とし、またあなたが最高の自分、つまり神が、あなたに成ってほしいと、望んで造られた人物になろうと、努力するとき、助けたいと願う人々です。
救い主の抱擁はすべての人に及ぶ
あなたは、こう思っているかも知れません、「自分は人生で間違いを犯してきた、イエス・キリストの教会になじめるかどうか自信がないし、神が自分のような人間に関心をお持ちになるとは思えない」と。
イエス・キリストは、「王の王、メシア、生ける神の子」でありながら、神の子供一人一人に深い関心を寄せておられます。救い主は、貧しい人も豊かな人も、不完全な人も実績のある人も、その人の立場に関係なく気にかけておられます。
救い主は現世におられた時、すべての人に奉仕されました。幸せで成功した人、傷つき失われた人、希望をなくした人もです。でも多くの場合は、救い主が仕え教え導いた人々は、有名な人でも、美しい人でも、裕福な人でもありませんでした。
救い主が引き上げられた人々は、多くの場合、感謝と謙虚な信仰心を持ちたい、という願望以外は主にお返しできるものを、持ち合わせていませんでした。
主の教会には、すべての神の子供たちのために、居場所があります。
ふさわしくない、とか忘れられているとか、独りぼっちだと感じている人々のためにもです。
神の恵みを受けるために、達成しなければならない完璧さの基準はありません。大きな声で雄弁に正しい文法で祈らなければ、祈りが天に届かないということなどありません。
実際、神は人を偏り見ない御方です。この世の価値観は、神にとって何の意味もありません。御父はあなたの心をご存じで、肩書や、財務上の純資産、インスタグラムのフォロワー数に関係なくあなたを愛しておられます。
私たちは皆、御父の愛する子供です。神を拒む人たちもそうです。
家出する子供は、心配して窓から見ている親に気ずかないかも知れません。でも親は、大切な子供がこの悲痛な経験から、何かを学び新たな観点から、人生を見お直し、やがて家に戻ってくることを、願って出ていく息子や娘を、優しく見守っています。
愛に満ちた天の御父も、同じです。私たちが戻ってくるのを、待っておられるのです。 来て一員となってください。