モーセの十戒
モーセの十戒をご存じだろうか、旧約聖書の「出エジプト記」に出てきます。
1971年の頃、「モーセの十戒」の映画もありました。「十戒」とは神様が人々が守るべき戒律を、モーセを通じて与えられました。いつ、どのように、どうして与えられたのか、まずそのことについて、超大雑把な話から始めます。
紀元前2000年の頃、アブラハムという神に愛された預言者がおりました。彼は神様に信仰篤く正しい人でしたから、神は彼と永遠の聖約を交わされました。
その聖約を通して、地上のあらゆる国民が祝福を受けることが約束されました。また、アブラハムの息子は、イサクであり、イサクの息子は、ヤコブであり、彼らもやはり信仰篤く、正しい人で神様に愛されました。
そして後に主は、ヤコブに「イスラエル」という名前を与えられました。この「イスラエル」という名前は、ヤコブの子孫から、またその子孫が、かつて旧約の時代に築いた王国に対しても用いられました。
その後イスラエルの民は、飢饉に遭った折に、エジプトに導かれて飢饉から免れました。その後イスラエルの民は人口が増えたため、エジプトの王はそれを嫌い、イスラエル人を奴隷にして苦しめました。
そこで神は、モーセを遣わしてイスラエル人をエジプトから、救い出されました。
ところで、イスラエル人はエジプトの「神々の偶像を崇拝する習慣」をまねて偶像を崇拝する者が多くいました。神様はこれを叱って、シナイ山において、モーセを通して「十戒」を与えられ、イスラエルにこれを守る様に言われました。
その十戒が次の10項目です。
1、わたしの他に何者をも神としてはならない。
2、偶像を造ってはならない、それを拝んではならない。
3、主の御名をみだりに唱えてはならない。
4、安息日を覚えこれを聖とせよ。
5、あなたの父と母を敬え。
6、殺してはならない。
7、姦淫してはならない。
8、盗んではならない。
9、偽りの証言をしてはならない。
10、あなたの隣人の家のものを欲しがってはならない。
この、神様が人類に与えた戒律が、現代の多くの国々の、国家の法律の根幹にもなっています。
この十戒は、神様と人類との契約です。この契約を「旧約」と呼びます。しかし、この旧約聖書での戒律を全て守れる人はいません。旧約を守れない人類は罪人です。それでは神様の救いは得られません。
そこで神様は、救い主イエス・キリストを与えてくださいました。その人類の罪を赦される為に、イエスは自らいけにえになり、その流された血によって、人類の罪は消されました。それが贖いです。
ただ、その代わり人類はキリストを信じ、キリストの律法に従うのです。それが「新約」です。新約聖書はイエス・キリストを証するものです
姦淫してはならない
今回は、この十戒の7番目の「姦淫してはならない」の律法に背くことについて、お話したいと思います。
ヤコブは、この戒めに耳を傾ける人々が、「非常に感じやすく、清く、繊細」な人であると知っているので、彼らがすでにその傷を受けてしまったら、その傷をますます深くしないように、願っていました。
現在多くの人々がこの傷を負って、人生を歩んでいるその被害者は、増加の一途をたどっています。
この戒めに関して、従順な信仰を持ってる人は、素晴らしいですが、もしこれを破ってしまって後悔の思いをしているなら、「悔い改めて」二度としないと主に誓うことが出来れば、よいです。
今日の社会では、純潔と貞節を守り、婚前交渉が誤りである。と信ずる人は少数派となりつつあります。それが誤りである、と信じる多くの勇敢な若人と成人が増えなくてはなりません。
婚前交渉や、不貞は、私生児や母子家庭、家庭の崩壊、病気の蔓延といった計り知れない影響を、世に与える結果を引き起こします。
多くの結婚関係が、この人目につかないながらも深刻な問題として、この時代の厄介な世界的な危機とともに、世にはびこっています。
イエスは、末の世の地上では「諸国民が悩み、おじ惑い混乱する」といわれました。
だからこそ、この7番目の律法を守ることが、大切な盾になるのです。なぜなら、その盾を下ろしたり無くしたりすることにより、天からの祝福を失うことになります。
その祝福なしには、人も国も繁栄を保ち続けることが出来ません。
道徳観念の低下
善良な市民とは、道徳的に正しい行いをする人でなければなりません。
隣人を羨望することと、隣人を愛することは明らかにちがうのです。
ある人は「自然界は純潔を気に留めない、人の本質はそれを大いに気にかける」と言っております。これに付け加えるならば、神から授かった本質は純潔を無限とも言えるほど気にかけるのです。
生まれながらの人が影響を及ぼす性癖は、7番目の律法に反するもので、人を堕落させ、肉欲や官能におぼれ、悪魔に従うものを伴っています。
悪魔は「すべての人が自分のように惨めになることを、求めている」という敵の恐るべき目的を考えてみてください、惨めな者は仲間を求めるのです。
残念ながら狡猾な人が、人のすることはどんなことも「決して罪にならない」と言い聞かせると、人々は7番目の律法を容易に破ってしまい、それらの人々は健全な教えに耐えられなくなり、戒めを重視しない耳障りの良い話をする人に、従って行きます。
悪魔はまた、だれも見ていなければ大丈夫、とけしかけています。
勿論私達には、選択の自由が与えられています。が、この世においては、この選択の自由の賜物が、ほとんど無抵抗で敵の手に落ちてしまっています。
この7番目の律法を、確固として守る方法はたくさんあります。
大切な教えは、「あなたがたは聖なる場所に立ち」行くべきでない所を避けるべきです。
幸福に暮らしている人たちは、賢明にも自分たちを守ってくれる霊的な方法を、身につけています。
それには、適切な服装や、言葉づかい、ユーモア、音楽などが大切です。
どうか服装や言葉遣いに気をくばって、誰もが、善い感じをすることを選択してください。
7番目の律法はとても大切な律法です。しっかり心に留めてください。