末日聖徒イエス・キリスト教会「救いの教義」から、ブルース・R・マッコンキー編参照
目次
生命自然発生論
今日、人の起源に関して広く行き渡っている説は、全ての生命が何か共通の起源から自然に発生してきた、とするものである。
すなわち、人も魚も、獣類はおろか地上の植物までも皆、何百万年も前の遥か遠い昔の海の中から、形成された原始の微生物から発生したとする考えである。
この理論は何百万年も昔に、生命が自然に発生したという仮定の上に立っている。これが進化論の基盤である。
私ははっきり申し上げる。生命は、自然発生的にこの地上で始まったのではない。生命の起源はここではなかった。
生命の起源は、この太陽系が存在し始める遥か昔から存在した。
進化論は誤っている
全ては海の表面の浮き泡ほどの微生物に始まり、徐々に発達して野の獣、空の鳥、海の魚、地表の植物など、あらゆる形をした生物が、みな一つの源から生じたという、この考えは完全な誤りである。この考えの中にひとかけらの真理もない!のです。
なぜなら、神は私たちに言葉を与えて知らせてくださったからであり、神の御霊によって導かれている者は、皆聖霊によって、これらの事の真理を知ることが出来るからである。
世の中で知性があり、科学的な知識と知恵をもっていると自称する人々が、この地上の生命は皆自然に発生したものである。と公言し、他の世界の生命については何も知らないことを認め、さらに地上の生命は、ことごとく同一、かつ単一の単純な源から発達したと、断言するとは何と愚かで、視野が狭く、見下げ果てたことだろう。
神が生命の唯一の源である
全ての生命が、皆同じ源に端を発していることは真実である。でもそれは海の浮き泡や、くらげでも、おたまじゃくしでもない。
天の父なる神が生命の創造者であって、神はいろいろな形の生命を地上に、また他の世界にも置かれました。神は今後もこの地上や他の惑星、あるいは世界で御業を続けられます。
しかし、今日世界にあまりにも広く広まっている進化論の、この誤った理論は、人を低下させることはあっても、高めたり支えたりすることはしない。
進化論と宗教は両立しない
アダムは下等生物から進化したのではない。
あなたは、偉大な人物で重要な役割を演じた君、アダムが雑種の猿であったと考えるだろうか、言い換えれば、アダムが動物の王国から徐々に発達して、何かの動物から人になって、神が彼に霊を入れ、彼を人と呼んだという考え方を、受け入れるだろうか、中にはそう信じている人がいる。
人は、何百万年もかかって海の浮き泡から進化してきた、という考えを抱いている人は、当然のことながらアダムを信じていないと思う。率直に言ってそんなことができるわけはないと思う。
福音と進化論の両方を信じることはできない。
人の起源に関するこの理論を信じ、同時に主なる神が示された救いの計画を、受け入れることは出来ないことを、特に強調したい。
もし、進化論者の学説を信じるなら、人が無限の時間を経て最も下等な種類の生命から、様々な段階の動物の過程を通って、最後に人間の形を取るに至ったという、見解を受け入れなければならない。
この仮説によれば、「穴居人」として知られる最初の人は、全く無知な生き物であって、野の獣に優る著しい知性は持ち合わせていなかった。
有神論の進化論者が立たされている窮地
進化論者が大きく有神論者と無神論者に、分かれることは事実である。この内、有神論の進化論者は、優柔不断で不信の宗教家であって、いつも聖典に記されているいろいろな奇跡について弁解しており、イエス・キリストが神から受けた使命を信じていない。
もう一度くりかえすが、誰も矛盾なく進化論者の理論を受け入れると同時に、イエスの神の使命を信じることはできない。
二つの考えは絶対相容れない。両者を調和させてふたりの主人に仕えることはできない。
進化論が真実であれば教会は誤っている
ダーウインやハックスレー、ヘッケル、その他この学派の人々が主張しているように、地上の生命が始まったとすれば、教会の教義は誤っていることになる。
そしてエデンの園も、アダムとイブも、また堕落もなかったことになる。イエス・キリストも神の御子ではなく、その死もアダムの咎と世の罪のためのものではなくなる。
進化論者は神が父であることを受け入れない
今日の世界は、終わりの日には人々が「常に学んではいるが、いつになっても、真理の知識に達することが出来ない」であろうと記している聖典の言葉の成就を見ている。
今日世界は、神が御父であるという重要な心理を捨て、寓話化している。そして 人は神の子ではなく、無限の長い時間を経て最も下等な生物形態から、自然に発達して、現在の形態と知性を持つに至ったという、人を低下させる理論を教科書と授業に採用し、普及させている。
ですから先日のテレビでも「博士ちゃん」という番組で、様々な事に興味を持っている子供が、いろいろ勉強して、その道の専門家のように詳しい自分の知り得た奥深い知識を発表している中で、この人類の進化論の話がありました。まだ小学生のその子の信じていた事は、人類も様々な生物も微生物から進化した物だと、話していました。残念です。
このような理論は、私達が模って創造された御父を侮辱するものです。
まとめ
人類の最初はどの様にして出きたのか、それは神の手で造られました。旧約聖書の「創世記」に書いてあるお話のとおりです。
人を造る前に、神はまず地球を造られました。そして最初にその地上に送られた人は、アダムです。
神は、人をご自分の姿形に似せて造られました。そしてその人の体に霊を入れました。そこで人は生きた人になりました。また人の霊は全て神様の元で生活しておりました。今この現世にいる私達も生まれる前は、霊の状態でそこにいました。
アダムは、神様の元で暮らしていた時の霊の状態の時は、天使長でした。
アダムの次に神は、エバを造りました。そして、アダムとエバが人類の最初の人です。アダムとエバが人類の先祖です。
人類の他の、すべての生物も、神様が造られました。それらは、人間のためにつくられました。