マリヤの生い立ち
イエスの母マリヤは、聖典にはあまり出てきませんが、その生涯と務めが誕生の数世紀前から、預言されていた唯一人の女性です。
マリヤは、イエス・キリスト(神の御子)の肉体に於ける母ですが、イエスの最初の弟子になりました。
ナザレ・マリヤの故郷
残念なことに新約聖書には、マリヤの両親や、出生、ナザレでの生活のことなどが、何も書かれていません。新約聖書以外ではナザレを扱った文献は、紀元二世紀の終わりまでありません。
分かっているのは、ナザレがエルサレムの105キロメートル北にある、肥沃なエズレルの谷を見渡す、下ガリラヤの丘にあったというだけです。
考古学によると、紀元一世紀のナザレは都市というよりは、村であって町ですらなく、推定人口は400~500人ほどだったようです。
ガリラヤ一帯の住民の多くは、自作農や家畜の世話、漁業、土地を耕すなどして働き、家族の食事を食卓に並べて、税金を払うのが精いっぱい、といった苦しい生活をしていました。
住民は異邦人ではなく、ユダヤ人だったことが分かっています。
(ちなみに、この頃の日本の時代は、大体弥生時代で、東北の方はまだ縄文時代で稲作が盛んになっていた頃です。あちらこちらに小さな国ができ、人々を支配する王や豪族が現れた。この頃「邪馬台国」という国があり、女王卑弥呼が30余りの国を支配していた時代です。)
マリヤは、恐らく神殿があって聖職者達が牛耳る豊かな宗教の中心地、エルサレムから、遠く離れたへんぴな村に住む農家の娘だったのでしょう。
少女とはいえ、マリヤは母親や村の他の女性と一緒に働いて、布を織ったり、料理をしたり、薪を拾い集めたり、貯水池や村の井戸から水をくみあげたり、野良仕事をしたりしていたと思われます。
すべては自分の家族が日々生活できるようにするためでした。
マリヤの召し
「ルカによる福音書」では、マリヤの物語は「天使ガブリエル」の訪れから始まります。ガブリエルが現れたとき、マリヤは若い女性で「村の男性ヨセフ」のいいなずけでした。当時のマリヤの年齢はわかりませんが、古代では、思春期に入る前に結婚をきめることもあったようです。
天使ガブリエルが現れて、マリヤに「恵まれた女」であり「主があなたと共におられます」と告げました。天使からこう言われてマリヤは戸惑い、恐れすら感じたはずです。その時の彼女の胸中をどんな思いが駆け巡ったかは、私達には想像することしか出来ませんが、恐らくこのように思ったことでしょう。
「なぜ私が『女の中で祝福された』者と見なされるのだろう?」とか、「なぜ私が『神から恵みを頂いている』のか、それにそもそもこれは、どういう意味なのだろうか」「なぜ神はガブリエルを、ナザレやエルサレムにいる、他の女性ではなく、私に遣わされたのだろうか。」などと考えたことでしょう。
そうです、マリヤは「ダビデ」の家の出身だったのです。
(「ダビデ」とは古代イスラエルの王で、羊飼いから身をおこして初代イスラエル王のサウルに仕え、サウルが戦死した後、ユダヤで王位に就くと、エルサレムに都を置いて、全イスラエルの王となり、40年間王として君臨した。また、イスラム教に於いても預言者の一人であって大変信仰深い人でした。)
しかしそれは、ローマの支配下では、ほとんど意味はありませんでした。いずれにしても、マリヤは取るに足りない村に住むただの農家の若い娘なのでした。
ガブリエルは、マリヤの思いと満ちていたどんな問にも答えずに、メッセージを続けます。
『マリヤは身ごもるでしょう、しかし、その子供はただの子供ではありません。その子は「いと高き者の子」と呼ばれ「父ダビデの王座」を受けるのです。言い換えれば、ガブリエルはマリヤに「これから生む息子は神の御子であり、約束されたメシヤである。」』と告げたのです。
この知らせを前にして、マリヤが困惑し、恐れていたとしても私達は、その後でマリヤが喜びに満たされた様子しか想像できません。
霊感に基ずく問いかけ
ガブリエルに対するマリヤの最初の問いかけは、こうでした。
「どうしてそんなことがあり得ましょう、わたしはまだ夫がありませんのに。」
この質問が出るのは当然です。マリヤの問いかけは、自分に告げられた神の御心について説明を求めるものでした。
高い基準を設定し、慣れ親しんだ場所から出るようにと、主から求められるとき様々な問いかけをしたくなるのは、やむを得ません。
マリヤの問いかけにガブリエルの答えは、3つの部分から成っています。
1、まずガブリエルはマリヤに、こう言いました。「聖霊があなたに望むでしょう」 聖霊は力であり、あらゆる時代の弟子が召しを果たす際に、その力によって適格な者とされます。続けてガブリルはこう言いました。「いと高き者の力があなたをおおうでしょう、それゆえ生まれる子供は、聖なるものであり、神の子と唱えられるでしょう。」
2、次にガブリエルは、マリヤのいとこの「エリサベツ」のことを告げています。彼女は不妊症で子供が出来なかったのですが、神の力で妊娠しました。エリサベツの妊娠は、ある意味でマリヤにとって自分だけではない、というしるしです。その子はマリヤの生む子供に関連があるのです。
3、そしてガブリエルは、こう告げています。「神には何でも出来ないことはありません。」 ガブリエルのお告げは、私達が神の求めに応じたときに、奇跡が起こり得るということです。
弟子としての積極性
マリヤが二度目に発した言葉が、「わたしは神のはしためです、お言葉通りにこの身に成りますように。」です。
「はしため」という言葉から、神から伝えられた召しをマリヤが受け入れる、と決めた事がわかります。これは、弟子としての決意と展望が凝縮されています。
そして、御使いは彼女から離れて行きました。ガブリエルが去り、マリヤは一人残されます。
天使が去った今、マリヤはこの経験を両親にどう説明するでしょうか、婚約者のヨセフにはどうでしょうか、または、ナザレの住民が彼女の言うことを信じてくれなかったとしたら、どんな犠牲が求められるでしょうか。
ナザレという狭い世間で生活するのは、マリヤにとって難しくなるかも知れません。そこでマリヤは、ガブリエルが教えた、エリサベツの家まで、旅をします。
マリヤがエリサベツに挨拶をするや否や、エリサベツの胎内の子供がおどりました。 エリサベツは聖霊に満たされて叫んでいいました。「あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎の実も祝福されています。」
御霊に導かれたエリサベツの、あいさつを聞いてマリヤは、女の中で祝福された者という、ガブリエルから告げられた自分の立場を、さらに強く実感しました。
マリヤは、エリサベツのところで三か月ほど滞在してから家に帰りました。マリヤには、神からの召しを果たす覚悟が出来ていました。