(エリック・D・ハンツマンの記事参照)
聖典の中に「ヨハネ」という人物はたくさん出てきます。でもここで述べるヨハネは、イエス・キリストの最初の十二使徒の弟子で、最もよく知られているペテロ、ヤコブ、ヨハネ、の三人の人物の中の「ヨハネ」です。そのヨハネの兄弟がヤコブです。
ここでは、その十二使徒の中でイエスに最も愛されたヨハネについて書きます。ヨハネは、新約聖書の中の5つの異なる書に、かかわりを持つと言い伝えられていています。
(ちなみに「最後の晩餐」の絵では、真ん中のイエスにもたれかかっているのが、ヨハネです。)
ゼベダイの子、ヨハネ
私達がヨハネについて知っている詳細の殆どは、新約聖書の3つの福音書に出てきます。そこにはおもに救い主の、現世での務めについての話が記されていますが、ヨハネは、ゼベダイという裕福なガリラヤ人の漁師の息子であった、ということです。
ゼベダイは自分の船を所有しており、また、仕事を手伝う働き手を雇うことが出来る裕福な人だったということです。
ヨハネとその兄弟のヤコブは、他のイエスの使徒であるペテロとその兄弟のアンデレと一緒に、働いていました。そしてその4人がイエスから、一日の全時間をささげて、弟子として従うようにと、召されたときに、即その漁師の仕事を捨てたのです。
そこで、ヨセフとヤコブの兄弟の母親は、息子たちの事をイエスに頼み込み、いつも見守っていました。(母親の子供を心配する心がわかりますね)
この母親の名は、サロメと言われ、イエスが十字架の刑に処せられるとき、その刑場にいました。また、サロメはイエスの母マリヤの姉妹であった可能性があります。そうだとすれば、ヨハネとヤコブはイエス・キリストの従弟ということになります。
ヨハネは、最初の召しを受けてから間もなく、イエスの初期の奇跡と教えの多くを、目の当たりにしました。これらの奇跡を目にし、また様々な説教を聞いた事が、ヨハネにとって十二使徒の一人になるよう、イエスから召されるときの備えとなったことは確かです。
これらの特別な証人のうちで、ヨハネ、ヤコブ、ペテロは、親しい間柄の十二使徒たちの中核を成し、次に挙げるイエスの地上での務めの、重要な場面に立ち会いました。
● ヤイロの娘の蘇生、死を制する主の力を自分の目で見ました。
● 変貌の山、三人はイエスが栄光に包まれるのを目にしました。
● オリブ山、終わりの時についての、イエスの最後の預言がここで述べられました。
● ゲッセマネの園の救い主が、贖罪という大いなる御業を始められた時に三人はすぐ近くにいました。
新約聖書の「使徒行伝」に登場するヨハネは、ペテロの力強く揺るぎない同僚として描かれています。
ペテロが神殿で、足の不自由な人に癒しを与えるときに、ヨハネはペテロと一緒にいました。また、エルサレムのユダヤ人の指導者たちの前で、二人はともに力強く教えを説きました。
この二人の使徒は、一緒にサマリヤに旅して、ピリポから教えを聞いて、バプテスマを受けていたサマリヤの人々に、聖霊の賜物を授けました。
しかし、ヨハネに関係する書によってこそヨハネが、自分の主であり友であるイエス・キリストの神性について力強い証人である。ということが、最もよくわかるのです。
これら新約聖書の書は、ヨハネをわたしたち自身の弟子の務めの教師、ならびに模範として描いています。
愛された弟子
興味深いことに、伝統的にヨハネの書いたとされている福音書には、ヨハネの名前は一度も出てきません。ヨハネによる福音書には、ゼベダイの二人の息子のことが、最後の章に一度だけ述べられています。
蘇られた主に、ガリラヤの海辺でお会いした7人の弟子のうちの二人が、この息子たちでした。しかし、ここでも名前は挙げられていません。
それでも回復された聖文の言葉に裏付けされている伝承は、ヨハネこそが名を伏せた「イエスの愛におられた弟子」であるとしています。
この弟子は、最後の晩餐、十字架の刑、空の墓、またガリラヤの海辺の、イエスの最後の訪れの場にいました。
また、イエスが捕らえられた後、ペテロに付き添い大祭司の中庭に入れるように、助けた弟子であったとも思われます。
ヨハネによる福音書には、この愛された弟子は、主の親しい個人的な友として登場します。マルタや、ラザロ、マリヤと共にヨハネは明確に、この福音書の中でイエスが愛された人、として述べられています。
最後の晩餐での、ヨハネの席は要職にあっただけでなく、主と親しかった事を示しています。
救い主の友情に加えて別の聖句は、ヨハネがイエスの使命に伴う最も重要な、出来事の力強い証人であることを、示しています。
ヨハネは十字架の刑の下にいて、罪のための犠牲として主が亡くなられるのを目にし、主の復活後に墓に走っていって、墓が空であることを確認し、また復活された救い主にまみえました。
ヨハネによる福音書には2度、それが愛された弟子の目撃した事実に基づいたものであると述べており、彼の証は真実であることを強調しています。
ヨハネの第一、第二、第三の手紙
新約聖書の中で、ヨハネによる福音書と同じように、ヨハネのものとされる3通の手紙は、いずれも直接にヨハネの名を挙げてはいません。にもかかわらず、ヨハネの第一の手紙は、実際の手紙よりも教義的な説明が多く、その文体やテーマの点で、福音書と密接に関係しています。
そしてその中には、ヨハネによる福音書に記されている、最後の晩餐の話の中で、救い主が教えられたテーマである、愛と従順の大切さに関する教えが含まれています。
福音書の後で書かれたヨハネの第一の手紙は、「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言」という書き出しで、主イエス・キリストについての著者の証を述べることから始まっています。
著者は、ヨハネによる福音書の冒頭の数行を再び採り上げて述べたほかに、文字通り肉体を持たれた「神の言」であるイエス・キリストについて、力強く個人的な、物理的な証を強調しています。
ヨハネの第一の手紙では、著者は証人であるだけではありません。偽りの教義を正し、反キリストや、偽りの霊からの信仰に対する脅威に立ち向かうように、召された権能を有する者でもあるのです。
また、神とキリストに関する有意義な真理と、信仰と、義を守り続けることの大切さを伝えることによって、忠実に生活している人々を励ますことも、彼の使命でした。
ヨハネの第二の手紙と、ヨハネの第三の手紙である著者は、自分のことを単に「長老」と述べ、愛と従順の大切さと、偽りの教師や教会の正当な権能を、拒絶する者の危険を引き続き強調しています。
黙示録
ヨハネが書いたとされる5つの書のうち、黙示録だけが実際にヨハネの名前を用いて、その書の最初の幾つかの節で数回名を挙げて著者を明らかにしています。その著者は自ら神の僕と名乗っている以外、自分の立場や召しを表明していません。
しかし、最も初期のキリスト教の指導者たちの殆どは、その若者がゼベダイの息子ヨハネであると信じていました。
複雑で極めて象徴的な黙示録は、あらゆる時代の迫害や試練に苦しんでいるクリスチャンを慰め、元気づけること、また同時に歴史を通してイエス・キリストの、役割を明らかにすることを目的としています。
ヨハネが黙示録を書いたと推定される時期は、二つあります。早い方の時期は紀元60年代と、遅い時期が紀元90年代です。いずれもペテロの殉教後で、ヨハネは生き残って先任使徒になっています。
しかし彼の召しは、その書に記載されている示現を受けて記録するだけではありませんでした。なぜなら、ヨハネは身を変えられた後、務めを果たし続けているからです。
ヨハネはイエス・キリストの最初の十二使徒の主要な一員であり、救い主と個人的に親しい関係にある人で、イエス・キリストの証人として、教会の指導者として、また啓示者として重要な役割を果たしました。
しかし自分の名を冠した福音書の中で愛された弟子として、自分自身を描くという方法を選んだことによって、ヨハネは私達にとって弟子の務めの模範となることが出来たのです。