ダリン・H・オークスのお話参照
御父なる神と,御子イエス・キリストと,聖霊
末日聖徒イエス・キリスト教会の「信仰箇条第1条」は次のように宣言しています。「わたしたちは、永遠の父なる神と、その御子イエス・キリストと、聖霊とを信じる」
御父と御子と聖霊を信じる、という点では、私たちは他のキリスト教徒と同じですが、この御三方について何を信じているかは、他の宗派の信条と異なります。
私たちは、一般のキリスト教世界が、この御三方を「三位一体」と呼ぶ教義を信じていません。何故ならこの御三方は、人、人格、はそれぞれ別であるからです。
ジョセフ・スミスは、最初の示現で二人の別個の御方、二人の実在する御方にまみえました。そのお二人の御方とは、御父の神と御子のイエス・キリストです。そのことから、神と神会について当時さまざまな宗派で、広く信じられていた教えが、真実でないことが明らかになったのです。
当時の教えでは、「神は、人には理解することも知ることも出来ない、神秘な存在」だと教えてましたが、それとは対照的に、
神は属性で、神と私たちとの関係は、知ることの出来る真理であり、この教会のほかの全ての教義への鍵です。
聖書には、イエスの偉大な執り成しの祈りが記されていますが、その祈りの中でイエスはこう宣言されました。「永遠の命とは、唯一の真の神でいますあなたと、またあなたが遣わされたイエス・キリストを知ることであります。」(ヨハネの福音書17:3)
神とその業を知る努力は、現世にくる前から始まっていて、しかも現世で終わるものではありません。
預言者イザヤは、神の属性と、神とその子供達との関係をイスラエルの人々に教えようとして、イザヤは聖書に記されているようにこう述べました。
「それであなた方は、神を誰とくらべ、どんな像と比較しょうとするのか、あなた方は知らなかったか、あなた方は聞かなかったか、初めからあなた方に伝えられなかったか、地の基を置いた時からあなた方は悟らなかったか」(イザヤ書40:18)
わたし達は、神会の御三方が別々の異なる御方であられることを知っています。このことは、預言者ジョセフ・スミスによる教えから分かります。
「御父は人間の体と同じように触れる事のできる骨肉の体を持っておられる。御子も同様である。しかし、聖霊は骨肉の体を持たず、霊の御方であられる。もしそうでなければ、聖霊は私達の内にとどまることはできない。」
父なる神が、神会の中で最高の位におられることについて、それぞれの御方の果たされる役割と共に、ジョセフ・スミスは次の様に説明しています。
「天が開くのを見た人は、誰でも、天には力の鍵を持つ三人の御方がいて、そのうちの御一方がすべてを管理しておられることを知っています。・・・これらの方々は、・・・第一の神が創造主、第二の神が贖い主、第三の神が証人、すなわち証する御方と呼ばれています。このお三方がいらっしゃる所が「神会」です。
御父は、最高位にある御方または長として管理する務めをもち、イエスは、仲保者として、聖霊は、証する御方すなわち証人としての務めを持っておられます。
神の計画
末日聖徒イエス・キリスト教会員は、救いの計画について明らかにされた事柄から、神会の方々と私たちとの関係を理解しています。
「わたしたちはどこから来たのか」「なぜここにいるのか」「どこに行こうとしているのか」という、疑問への答えは聖文で、「救いの計画」または「偉大な幸福の計画」「贖いの計画」と呼ばれるものの中に見出す事ができます。(アルマ書)
イエス・キリストの福音は、この計画の中心を成すものです。
神の霊の子供である私たちは、現世に来る前に、永遠の命を得るという行く末を望みました。そのため肉体をまとって死すべき世を経験する機会を与えるために、天の御父はご自分の管理の下に、この地球を創造されました。そして私たちは、霊体で過ごした前世の記憶を取り去られ、神の戒めを喜んで守る事を、証明してこの死すべき現世に生まれてきました。
現世では難しい問題を切り抜けて、経験し、成長することができるのです。しかし、現世の経験を得る過程において、肉体の死を受ける事になります。
御父の計画では、これらの障害が、すべて予期され、克服する道が用意されました。
神会
神の偉大な計画の目的が分かったところで、その計画の中で神会の御三方が、それぞれ果たされる役割について、聖書の教えから考えてみます。
コリント人への第二の手紙の13章13節に「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と聖霊の交わりとが、あなた方一同と共にあるように」と、使徒パウロの手紙の結びになっていますが、この聖句は神会を描写しており、すべてを決定づけ動機づける父なる神の愛と、イエス・キリストの憐れみに満ちた、救いをもたらす使命も、聖霊の親しい交わりについても述べています。
父なる神
全ては父なる神から始まります。
御父については分からないことが比較的多いですが、私たちの得ている知識から、御父が最高の位にあられることと、御父と私たちの関係、救いの計画と、天地創造と、その後に続くほかのあらゆる事を、監督なさる御父の役割を明確に理解することができます。
イエス・キリストが最初に唱えられた第一の根本となる真理は、すなわち、万物の後ろに、上に、すべてを治める父なる神、天地の主がおられるということです。
父なる神の属性について、わたし達が知っている事柄のほとんどは、御父の独り子であられるイエス・キリストの、務めと教えから学ぶことができます。
イエスの務めの最も重要な目的の一つは、「永遠の父なる神とは、どのようなお方なのか」を人に示し、御自分の父親である天の御父の本質を明らかにし、御父の本質を人が自分で理解できるようにすることでした。
聖書には、イエスは御父の「本質の真の姿」であられるという使徒の証がありますが、父なる神は私たちの霊における父であられます。それ故私たちは御父の子供なのです。御父は私たちを愛し、すべてのことを私たちの永遠の幸せのために行われます。
御父は、救いの計画を作られた御方であり、御父の力によって、その子供たちの究極の栄光をもたらす計画は、目的が成し遂げられます。
御子
人にとって神会の中で、最も認知しやすい御方はイエス・キリストです。御子は、神の子供たちの長子です。霊における最初の子であり、肉における独り子です。
すべての中で、最も大いなる御方であられる御子は、御父の計画を遂行するよう御父より選ばれました。その使命は御父の力を行使して無数の世界を創造し、御自分の復活によって、神の子供たちを死から救い、贖罪によって神の子供達を罪から救うためです。この「神聖な犠牲」は、まさに「人類歴史の中心となる出来事」と呼ばれています。
父なる神は自ら御子を紹介された、たぐいまれな聖なる機会に次のように言われました。「これはわたしの愛する子である、これに聞け」(新約聖書マルコ9:7)
したがって、預言者に対して、そして預言者を通して語られる御方は、主なるイエス・キリストなのです。
聖霊
神会の第三の御方は、聖霊であり、聖なる御霊、主の御霊、慰め主とも呼ばれます。聖霊は神会の一員であられ、個人の啓示をお伝えになる御方です。霊の御方として、私たちの中に宿ることがお出来になり、御父と御子と地上にいる神の子供との交わりを、取り持つ重要な役割を果たされます。
聖霊の使命は、御父と御子について証されることであると、多くの聖句が教えています。
慰め主はすべてのことを教え、ことごとく思い起こさせ、あらゆる真理に導くと、救い主は約束されました。したがって聖霊は、わたしたちが真理と偽りを見分けられるよう助け、大きな決断を下すときに導き、この世の試練を乗り越えられるよう助けてくださいます。
また聖霊は、私たちを清められてきれいにされるのです。
では、神会と救いの計画に関する、この天から啓示された教義を、理解することは、わたしたちが今の問題に立ち向かう上で、どのような助けとなるでしょうか、
わたしたちには、神会について、また私たちと神会の方々との関係、人生の目的、人の永遠の行く末の本質についての、真理があります。