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真理とは何か

イエス・キリストの福音とは何か? を知る

投稿日:2021年4月24日 更新日:

イエス・キリストは、わたしたちを罪と死から救ってくれた

キリスト教の信者、つまりクリスチャンと言われる人は、イエス・キリストを「救い主」と呼んでいます。何故こう呼ぶのか、それはキリストがわたしたちの罪の代価を払い、死の力に打ち勝たれたからです。主はわたしたちを救ってくださったのです。その主がわたしたちの為に払ってくださった犠牲は、「贖罪」と呼ばれ、これまでに起こった出来事の中で、最も重要な出来事です。

こう言っても、まだその意味が分からないことでしょう。そこでもう少し分かり易く説明してみましょう。

わたしたちは、死が人生の終わりだと思っていると思います。しかし、イエスのおかげで、死がすべての終わりではなくなりました。

わたしたちは、人生の中で様々な罪を犯します。が、そうした罪も赦されて日々成長することができます。それはイエスによってなされました。何故それがイエスによって成されたのか、それを説明しなくてはなりませんね。

人類が地球に生まれる前、わたしたちは天の両親と共に住んでいました。その時の私たちは霊の状態でした。その両親とは神様です。そしてイエス・キリストは神の長子であり、神と共にこの美しい世界の創造を助けられました。

そして、神と共にいた霊のわたしたちは、神様との約束によって肉体を得て地球に送り出されてきました。その時、イエスは、そのすべての人類が地上での生命が終わったとき、もう一度わたしたちが神のもとに戻れるように、わたしたちの救い主になるよう選ばれ、地上に生まれることを同意されました。

こうして、イエスはわたしたちの救い主になりました。

イエス・キリストはわたしたちの罪の代価を支払ってくれた

地上に生まれてイエスは、人々の完全な模範となり、御自身の福音(神の国と救い主の教え)を教えられ、わたしたちの為に贖罪を成し遂げることができるようにされたのです。そうしてイエスは、全ての人類が死んでも救われるために、わたしたちの罪の代価を支払ってくださったのです。(これが贖罪です)

その罪の代価の為に御自分の死が近づことを知った時、イエスは「ゲッセマネ」と呼ばれる園に行って神に祈られました。わたしたちの代価を支払ってくださる主の贖罪は、この祈りから始まりました。

それは、わたしたちが「悔い改めるなら」苦しまなくても済むように、その代わりにイエスは進んで苦しみを受けられたのです。これによってわたしたちが「罪から離れて」救い主に従う時に、赦しと癒しを見出す事ができます。

そして救い主のおかげで、わたしたちはこの世で霊的に成長し、天の御父の元に帰り、永遠の命を得ることができるのです。

主は、人生におけるわたしたちの悲しみや、病気や、苦痛をすべて経験されました。これが、ゲッセマネの園で起こった贖罪の最初の部分です。

そのゲッセマネでの祈りの後、イエスは捕らえられ十字架による死刑を宣告されました。イエスは全能ではありましたが、十字架上での死を受け入れられました。そしてイエスに従う者たちは、愛を込めてイエスの死体を墓に納めました。

その時彼らは、イエスの肉体が死んでもイエスの霊は、なお霊界で生きておられるということを、理解していませんでした。そして3日後イエスは蘇り、彼らのもとを訪れ、御自身が死に打ち勝ったことが出来たことを証明されました。

これによって贖罪は完了したのです。つまり、死で人生が終わりではなくなったと、いうことです。人生は死後の世界も続きます。

クリスマスと復活祭の意味について

世界の多くの地域で、イエス・キリストの贖罪を思い起こす助けとなる、二つの祝日が祝われています。クリスマスと復活祭です。

クリスマスの祭りの意味は、わたしたちは、イエスが地上にやって来るという使命を進んで受け入れてくださったことを、感謝の気持ちで思いおこします。

その使命には、私たちのために苦しみを受けて亡くなることが含まれていたにもかかわらず、イエスは引き受けてくださった事に感謝します。

復活祭では、救い主が罪と死に打ち勝たれた事を、祝います。これは、わたしたちに喜びに満ちた永遠の未来への、希望をもたらしてくれます。

クリスマスは、12月に行われていますが、この日はイエスの誕生日ではありません。また、復活祭は、4月10日前後に行われます。この時期にイエス様は、墓から蘇られました。

救い主の贖罪について、聖文はどのように述べているか

「神の御子は、あらゆる苦痛と苦難と試練を受けられる。これは、神の御子はご自分の民の苦痛と病を身に受けられるためである。また神の御子は、御自分の民を束縛している死の縄目を解くために、御自身に死を受けられる」。(アルマ7:11-12)

「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者が一人もほろびないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」(ヨハネ3:16-17)

「イエスは私たちを含めご自身に従う者が悪から守られ、主や天の御父と一つとなれるように祈られました。」(ヨハネ17章)

「見よ、神であるわたしは、全ての人に代わってこれらの苦しみを負い、人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。しかし、もし悔い改めなければ、彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。その苦しみは、神であって、しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が、苦痛のためにおののき、あらゆる毛穴から血を流し、体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。 しかしながら、父に栄光があるように、わたしは杯を飲み、人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。(教義と聖約19:16-19)

 

こうして私たちの人生は、死んで終わりではなくなりました。そして、死んだあとのわたしたちの行き場所は、地上での行いにより、一人一人違います。だから地上での行いを悔い改めて、イエス の教えに従うことにより、私たちが再び神の元に戻った時、幸せを得られます。 また、それから先の人生は永遠に続きます。

 

 

 

 

 







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ようこそ 私は管理人の齋藤正子です。

新潟県出身  高校卒業まで新潟で過ごす。

「末日聖徒イエス・キリスト教会」会員。

教育者の家庭に生まれ育ち、7歳で母親を亡くし、後信仰深い祖母に育てられたが、10歳の時父が再婚し、その義母に姉妹差別で育てられた事に悩んだ。 大学を卒業した後、様々な人々と関わり 「人生とは何か」に、疑問を持っていたある日「末日聖徒イエス・キリスト教会」の宣教師に出会い、「救いの計画」について聞く事ができた。

そして人生の目的や人々との関わり等について、また人と神の関係について学んだ。

私と同じ疑問を持っている方、又人々との関係を良いものにしたいと思う時に、参考になればと思い聖典等を参考にして書いています