幼子のようになりなさい
子供は、かわいくて無邪気な者です。そしてその心は純粋です。だから聖書の教えにこの様に書いてあります。
「幼子のようになりなさい」と しかし親達はその幼子の純粋な気持ちが分らず、その子供のやっている事を見て、それが気に入らないと、すぐ怒ります。
「何しているの!」「もっとちゃんとしなさい!」「駄目じゃないの!」等とです。これには子供は戸惑います。そして悲しくなります。
大人によっては言ってる事が時々違う事があるからです。
たとえば、こんなお話があります。
お母さんへの愛を、子供は態度で示します
色んな面できちんと教育している御両親に、素直な賢い子供がいました。その子は幼稚園児でした。
両親はいつも正しいことや、礼儀作法等をきちんと子供達に教えていました。
また、その家族は毎週日曜日に「イエス・キリスト教会」に行っております。
ある「母の日」に教会で子供達の発表会がありました。その日はプライマリーの子供達が「母の日の歌」をお母さんにプレゼントします。
舞台の幕が開き、可愛い何人かの子供達が一列に並んでいました。そして挨拶の礼をしてピアノの伴奏が始まって、子供達が歌いはじめました。
皆お行儀よく、正面の客席に向かってきちんと並んで歌っている中で、一人だけ横向きになって歌っている男の子がいました。
それに気付いた一人の男性が(あの子は何故横を向いているんだろう、何処の御子さんかな?)と思いよく見たら、自分の息子でした。
(えっ、うちの子じゃないか 何故一人横向きで歌っているのだろう?)と思い、皆お行儀よく前を向いて歌っているのに、自分の息子だけが横向きになって歌っていることが恥ずかしくなって、顔が赤くなるほどでした。
子供に気付いて貰おうと思い、合図を送りますが気が付きません。とうとうそのまま最後まで歌い終わりました。
お父さんは怒りがこみ上げて来て、後で叱ってやらなければ、と思いました。とにかく恥ずかしくて仕方がありませんでした。
そして子供達の歌は終わって、その男の子はニコニコして席に帰ってきました。お父さんはすぐに怒りたかったのですが、子供が嬉しそうだったので、家に帰るまで我慢しました。
子供の心は純粋で素直です
家に帰って来た時お父さんは、すぐに子供に注意をしようと思いました。でも、その怒る気持ちを抑えて、まずこう聞いてみました。
「○○君今日の歌はとても良かったよ、でもお前はどうして横を向いて歌っていたの?皆前を向いていたのにお前だけ横を向いていたのはどうしてなのかい?」
すると男の子はこう言いました「ぼく、歌いながらお母さんをジット見ていたんだよ」お父さんは「どうして?」と聞きました。
男の子は言いました「プライマリーの先生が、『歌を歌う時はお母さんの顔をじっと見て歌ってね』と言ったので、僕はお母さんの顔をズ―と見て歌っていたんだよ」と言ったのです。
お父さんは怒れなくなりました。皆のお母さんは観客席の方にいましたが、男の子のお母さんはその時伴奏者で、舞台の横手でピアノの伴奏をしていたのでした。
まとめ
子供の躾で怒ることも必要ですが、その時はまず、問題についてお互いにしっかり考えを言って、分り合ってから間違っている部分をしっかり教えて行く様にすれば、子供もちゃんと理解してくれる筈です。
子供の躾は「怒る」ことではありません。よく話を聞いてやって、考えてる事を理解してやる事です。子供も大人も対等なのです。