神様は全ての人に選択の自由を与えられた
選択の自由とは、神が人に授けられた、自分自身で選び行動する能力と特権です。
創世の時、神は「アダムとエバ」に知識を与えました。そしてエデンの園で選択の自由を与えました。
『あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてもよい、しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう しかしそれは、あなたに任せられている』(創世記1:16)
それは、すべての人が神が与えた道徳的な選択の自由に応じて、未来に関する教義と原則に従って行動できるようにして、各々が裁きの日に自分自身の罪に対する責任を負うようにする為である。(教義と聖約101:78)
選択の自由は、責任を負うことです
人には自由が与えられ、人のために必要なものは全て与えられています。
また、すべての事物には反対のものがなければならなかった。それによって人は、そのどちらかを選ぶことになるのです。
そして人は全てのことにおいて、自由に選ぶ事ができます。ただ、その選択による結果の責任は自分で負うのです。
そして選択する時、その後の結果は選ぶ事ができません。その時点では後の結果は分らないからです。だから「後悔先に立たず」という諺がありますね(後悔しないように事前に十分注意せよ)ということですね。
物事を選択する時、後悔しないように選ばなければなりません。
自分の人生でまちがった選択をしたとき
私は、今迄の人生での選択で、一度だけ後悔していることがあります。
人生の曲がり角で、大切な選択をする時は、後の結果はその選択の時点では分らないものですから、その時は目先の事だけを見て決めてしまってはなりませんね、
自分の都合の良い事だけで選ぶと、後悔する事になるかも知れないからです。
そういう大切な選択の時は、信頼出来る人三人以上の人に相談して、多い意見を参考にして、その上でよく祈って心に強く感じた方を選ぶと良いと思います。
そして選んで決めてしまったことには、全身全霊で努力することです。そうした時もし仮に、間違った方を選んでしまったとしても、そこから良い方向に向かう筈です。
それには試練があるかも知れませんが、人に乗り越えられない試練は神は与えておりません。
選択の自由は何の為に必要か
選択の自由は何の為に与えられているかというと、「成長の為」です。
世の中には、善と悪があります。もし世界中に悪がなくて、善だけだったら争いはありませんし、喧嘩もないし、戦争も起こらないでしょう、そして人間の成長もありません。
また、不幸を知らないので喜びもなく、罪を知らないので悪も行わず、罪のない状態にとどまって何の成長もありません。
しかし、人が存在するのは「喜びを得るため」であるから、人は自由となり善悪を知る様になっています。
そして人は自由であるから、思いのままに行動する事が出来て、強いられることはありません。
だから人は永遠の幸せを選ぶことも、悪を選んで悪魔の束縛と死を選ぶかことも自由です。
この世はその選択によって、成長するか、罪を選んで脱落するかその試しを受ける場所なのです。
だから人生には試練があります。そしてその試練を乗り越える手段も与えられています。
まとめ
「選択の自由」とは、神が人に授けられた、自分自身で選び行動する能力と特権です。だからいつでも何を選ぶかは自由です。ただ、それには責任を負うことになります。
将来後悔しないように選びには十分考えて間違った選びをしない様に気をつける事が大切です。